小野善康(おのよしやす)
一九五一年、東京都生まれ。大阪大学社会経済研究所教授。経済学博士。一九七九年、東京大学大学院修了。民主党政権時代には内閣府参与、内閣府経済社会総合研究所所長を歴任。主な著書に『不況のメカニズム―ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ』(中公新書)、『成熟社会の経済学―長期不況をどう克服するか』(岩波新書)など。
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第三章 お金への欲望に金融緩和は勝てない
小野善康×萱野稔人
▼金融緩和が効かない明白な証拠
―― 小野先生といえば不況動学理論という独自の経済理論を打ち立てたことで広く知られています。その小野先生が、金融緩和で景気回復はできないとおっしゃっていると聞き、お話をうかがいにきました。
小野先生は、民主党・菅政権の経済政策ブレーンでした。確認の意味もこめて最初にうかがいたいと思います。菅総理のほうから「金融緩和をやってみてはどうか」というような声はまったくでてこなかったのでしょうか。小野 総理になる直前に菅さんから「金融緩和は効果のあるものなのか」と聞かれたことがありました。私は即答です。「いえ、いまの日本では効きませんよ」と。
その理由のもっとも単純な説明は、「過去の実例を見てください、効果はなかったでしょう」ということです。―― 二〇〇一年から二〇〇六年まで続いた金融緩和政策のことですね。
小野 いえいえ、それ以前から日銀は、ずっと金融緩和をしてきたんですが、まったく効果はなかったんです。図1を見てもらえますか。
―― 横軸がマネタリー・ベース、つまり日銀が供給する貨幣の量ですね。二〇〇一年以前でも、貨幣の供給量はどんどん増えているんですね。二〇〇一年からの五年間で二七兆円増えて、その前の五年間でも二二兆円増えています。
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小野 増加率からいえば、二〇〇一年以降の五年間の三九%に対して、それ以前の五年間では四五%で、二〇〇一年以前のほうがむしろ増えていたんですよ。
―― 量的緩和をおこないますよ、と日銀が言いはじめるずっとまえから貨幣供給量は増えていた。これが事実なんですね。
小野 そうなんです。小泉政権以降に限らず、バブル崩壊以降、日銀は貨幣の供給量をどんどん増やしつづけていたんです。
ここで重要なのは、貨幣の供給量を増やせば物価は上昇するのか、つまりデフレ克服につながるのか、という問題です。
図1の縦軸を見てください。これ、消費者物価指数なんですよ。物価は上がっていますか。上がってないでしょう。―― これはかなりすごいグラフですね。見れば一発でわかる。金融緩和をしても物価の上昇をもたらすことはできない、デフレ脱却などできないということですね。
小野 ついでに貨幣供給量とGDPの関係も見ておきましょうか。図2の縦軸は名目GDPです。
―― GDPの額も一九九二〜三年以降、ほとんど動きがないですね。つまり、金融緩和をこれだけつづけていても結局、名目GDPは拡大していない。
小野 そうです。菅さんにもこの二枚の図を見せました。そしたら、ぱっと理解してくれて、「(金融緩和慎重派といわれた当時の日銀総裁)白川さんが喜ぶな」と。金融緩和政策についての菅さんへの説明はこれだけでおしまいでした。
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▼「成熟社会」に入った日本
―― それだけこのふたつが明白なグラフだということですね。ところで、このふたつの図をみてさらに気がつくのは、一九八〇年代後半までは貨幣供給量に比例して物価もGDPも素直に上昇していたということです。
しかし、バブルが崩壊し本格的に景気が悪化していった九〇年代からは、その相関関係が消えてしまった。貨幣供給量をこれだけ増やしているにもかかわらず、物価は上昇せず、GDPも増えていない。
では、なぜその相関関係は消えてしまったのでしょうか。さらに気になるのは、貨幣供給量と物価上昇や経済成長との相関関係はとうに消えてしまっているのに、主流派の経済学者たちは、なぜ金融緩和で物価上昇や景気浮揚が可能だと言いつづけているのでしょうか。そして小野先生はその主流派の経済学者たちの主張に対してなんと答えるのか。そのあたりもぜひうかがいたいところです。小野 先にヒントをお話ししておくと、お金のもつ深い意味を従来の経済学の主流派たちは真剣に考えてこなかったということですよ。そして、お金の特性を考えないと、この経済構造の変化も説明しきれないのです。
―― 九〇年代半ばに日本経済の構造に大きな変化があったというのは、多くの論者が指摘することですし、私自身もそのように考えています。藻谷さん、河野さんのお話に共通するのは、この時期に生じた人口動態の変化が引き金となって需要が縮小したという点です。
小野先生の理論にとっても、この九〇年代半ばの転換が重要になるわけですね。
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