第一次世界大戦はなぜ始まったのか
柴山 第一次世界大戦の開戦からちょうど一〇〇年がたちました。節目の年ですから、論壇でも「なぜ、あの世界大戦が始まったのか」と戦争の原因を探る議論が増えてきています。しかし、その議論から抜け落ちていて、僕らがいつも強調しているのに、なかなか理解されない大きな要因があります。グローバル化です。
中野 そう、グローバル化。今日はその話をしたいと思います。
柴山 第一次世界大戦の話ですが、まず大前提として、あの時代にもグローバル化があったということから始めましょう。日本ではあまり言及されませんが、一九世紀後半の世界経済は相当にグローバル化が進んでいて、開戦の直前には、現代に匹敵するほど貿易や資本移動が盛んだった。経済史の分野では、この時期のことを「第一次グローバル化」と呼んでいます。
中野 イギリスがナポレオン戦争で覇権国となってから、第一次グローバル化が始まりました。大英帝国は、その圧倒的な海軍力と経済力によって自由貿易の時代を開き、また金融の中心として世界市場に資金を供給していった。
柴山 イギリスは、一八四〇年代からいちはやく自由貿易に移行し、他国にも門戸開放を迫った。当時のイギリスは、自国の圧倒的な競争力を背景に、そういう政策を採ったわけです。ところが、ライバル国の追い上げで、次第にイギリスの覇権が脅かされていく。
同じ図式が、現代でも繰り返されているのではないか。中野さんが新著『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)で明らかにしているのは、アメリカが始めたグローバル化、自由化が、いまではアメリカの覇権衰退を早めているのではないか、ということですね。
グローバル化が戦争を連れてくる
中野 歴史的な事実関係を先に整理しておきましょう。一九世紀に始まる第一次グローバル化の末に何が起きたのか。新興国であるドイツとアメリカが経済力を強め、相対的にイギリスの国力が衰退し、覇権国としての地位が揺らいだ。そして、やがてドイツがイギリスに挑戦してきて、両国の対立が深まった。その結果、第一次世界大戦となった。こういう流れです。
柴山 グローバル化を進めるのは覇権国だけれど、長い目で見ると、グローバル化がパワー・シフトを引き起こす。
中野 現在進行中の第二次グローバル化でも、同じ現象が起きていますからね。冷戦終結後、アメリカは世界で唯一の覇権国となり、グローバル化を進めましたが、グローバル化は結局、アメリカの経済成長をむしろ鈍化させ、格差を極端に拡大させ、ついには二〇〇八年の世界金融危機を引き起こしてしまった。
そのうえ、中国をグローバル経済に迎え入れたのもアメリカです。グローバル化した中国は飛躍的に経済成長した。その結果、軍事的にも大きな力をつけてしまい、アメリカでも抑えられなくなったのです。
柴山 そのとおりです。付け加えると、経済がグローバル化して、各国の経済がつながってしまうと、つながっているがゆえに政治的な対立が先鋭化しやすくなるということもあります。たとえば、一九世紀の後半は、グローバル化の時代であると同時に、大国間の植民地獲得競争の時代でもありました。最初は貿易や金融の利益を求めていた各国が、次第にアフリカとかアジアで一歩も引けなくなる状態に陥った。
グローバル化によって、世界が経済的に相互依存していけば、世界全体が平和になり、繁栄する、なんて歴史を見る限り簡単に言えないんです。
最近は、欧米でもそういう議論が出てきている。ところが日本では、左派も右派も、グローバル化というものについて異様に楽観的ですね。
中野 第二次世界大戦開戦の背景にも、このグローバル化に対する楽観の問題が潜んでいます。今回の本を書くにあたって、国際関係理論の古典であるE・H・カーの『危機の二十年』を読み直してみました。
カーがこの名著を書いたのは、一九三九年の、第二次世界大戦開戦前夜です。第一次世界大戦で疲弊したイギリスから、世界の覇権はじょじょにアメリカに移っていくわけですが、戦間期のアメリカは政治的にも経済的にも、自由主義というものを楽観的に信じていた。カーは、アメリカの国際的な自由主義、今日で言う「グローバリズム」を、現実に根ざさない、危険なユートピア主義だと批判しています。
代表的なのが、国際連盟設立を提唱したウッドロー・ウィルソン大統領です。しかし、歴史が示すとおり、ウィルソン主義的な楽観に満ちた、非現実的で実効性のない国際秩序は、あっという間に破綻します。経済に目をむければ、この戦間期のグローバル化がバブルを醸成し、それが崩壊して世界恐慌を引き起こし、第二次世界大戦につながっていった。
柴山 中野さんは、『世界を戦争に導くグローバリズム』で、この戦間期の二〇年と同じ過ちを、ポスト冷戦期のアメリカが繰り返していった、と主張なさっていますね。
中野 そうです。一九一九年から二〇年かけて第二次世界大戦の原因をつくってしまったアメリカが、一九八九年の冷戦終結から二〇年かけて、同じ失敗を繰り返してしまったんですよ。
柴山 その結果起きたのは、イラク戦争の失敗によるアメリカの威信の失墜であり、二〇〇八年の世界金融危機に始まる世界的な経済の大混乱・大停滞だったと。
中野 E・H・カーが言ったことを我々がいまだに正確に理解できずにいるから、また不幸な時代に戻りつつあるのかな、と思うんですよね。カーが、あれだけの知識をもってして、あれだけの名著を書いても世の中、どうにもならなかったんだから、私がこの本を出したところでどうにもならないかもしれない(笑)。
柴山 いや、正しい認識をもつことから、すべては始まるわけですから。
中野 ここまでふたりで話をしてきたことは、僕たちだけが言っているのではなくて、現代の政治経済学で言えば、ロバート・ギルピンの「覇権安定理論」などともつながる話です。「覇権安定理論」の教科書的な説明は、自由主義的な国際秩序が覇権国家の存在を必要とする、ということです。たとえば、グローバル化の前提となる自由貿易が成立するためには、国際的な貿易ルールや安定的な国際通貨制度といった環境がなければなりません。こうした環境を誰がコストを払って整えるのか。世界政府は存在しませんから、覇権国家がいわば世界政府の代わりになって環境をつくりだすんですね。
しかし、この覇権安定理論を僕が重要だと言うのは、この先の部分です。ギルピンは、とても不気味な仮説を提示していたからです。覇権国家が築いた世界秩序は内部から不安定化していく。覇権国家がつくった世界秩序のおかげで他国が力をつけてしまい、覇権国家は世界秩序を支える負担に耐え切れなくなるだろう、と。そして、世界秩序がやがて崩壊していくのだというのです。それが、実際そのとおりになっていっているのが、現状なんじゃないでしょうか。
柴山 今、国際政治で起きているのは、覇権国であるアメリカが負担に耐えられないので、「世界の警察官」の立場を降りようとしている、という事態ですね。
中野 たとえば、オバマ政権はシリアへの軍事介入に踏み切ろうとしたけれど、結局攻撃を断念せざるをえなかった。南シナ海、東シナ海で中国を抑止することもできないし、プーチン大統領がクリミア半島を奪取するのも阻止できなかった。アメリカの世論調査を見れば、約半分が、アメリカは自国の問題に専念して、外国への関与をやめるべきだと言うようになっている。
アメリカの衰退で何が起こるのか
中野 アメリカが衰退し、「世界の警察官」をやめたら、どんな世界になるかを考えてみましょうか。
おそらく世界の主要国が自力で自国の安全保障を確保するために、地域覇権の地位を獲得しようと動き出します。たとえば、アメリカはモンロー主義へと回帰し、西半球だけの覇権国家になる。EUはヨーロッパ大陸、ロシアはユーラシア大陸の北部、中国は東アジア、インドは南アジアといったかたちですね。
その過程で、世界の各地域で地域覇権をめぐる紛争や戦争が起きる可能性が高い。というより、もう潜在的には始まっていると見たほうがいいんですよ。
柴山 外に開くより、国家単位、地域単位で閉じられるところを閉じていく脱グローバル化のプロセスに入っていくということですね。成功するかどうかは別にして、これから地域単位のブロック経済的な動きも出てくるような気がします。
つまり、グローバル化も行きつくところまでいくと、今度はその反作用で脱グローバル化に向かう。第一次グローバル化もそのようにして終わった。たぶん、今回もそうなるでしょう。
中野 柴山さんが『静かなる大恐慌』(集英社新書)で二年前に指摘していたことだけれど、この世界同時多発危機の状態を見ていると、本当にそのとおりになっていくなあ、と思わざるをえないですね。
柴山 それと、強調しておきたいのは、グローバル化が経済的な現象という以上に政治的現象であるということ。たとえば、ある国が経済開放度を上げるか下げるかは、政治的選択の問題ですから。その判断は、単純な経済的論理だけでは決まらないんです。
逆に軍事や外交だけに注目して国際情勢を語る人たちは、経済についての見方が単純だったりする。今後の世界経済の変化を考えると、産経新聞のように、日米同盟さえ堅持していれば大丈夫だ、とは言えないはずです。
中野 アメリカが衰退し、世界が多極化するだろうというところは誰もが合意しているのに、グローバル化が終わるという結論になぜ辿り着かないのかが不思議でなりませんね。
柴山 本当にそうなんですよ。グローバル化が終わると言うと、おそらく日本人は、国境を越えた貿易やお金のやりとりが途絶することだと考えてしまうんです。鎖国のイメージですね。でも、そうではない。グローバル化が終わるということは、要するに国境の壁が厚くなって、国境を越えた取引のコストが、目に見えない部分も含めて次第に大きくなる、ということです。
多極化時代に混乱するのは東アジア
中野 じゃあ、今後、世界経済はどうなるのか。国際秩序はどうなってしまうのか。
欧米、特にヨーロッパは凋落していって、アジアが経済の中心になるんだという議論がよくありますよね。確かに人口や経済で見ると、世界でアジアのウェートは大きくなっているから、アジアがこれからの世界経済の舞台のようにも見える。だけど、そうじゃない可能性もあるんじゃないでしょうか。
なぜかというと、アメリカが世界の覇権国でなくなると、主権国家システムがしっかりしていない地域は三〇年戦争的な混乱に陥る危険があるからです。たとえば、現在の中東がそうでしょう。
ヨーロッパはユーロの失敗や人口の高齢化で衰退しつつありますけれども、ウェストファリア条約以来の国際関係の歴史と文化の共有があるから、安定した外交関係が成立している。ヨーロッパで国境を越えて覇権戦争が起きるというのは想定しづらいわけです。
ところが、アジアは国際関係の歴史が脆弱です。ウェストファリア以来の主権国家の原則を律儀に守ろうとする伝統がある国っていうのは、はっきり言って日本だけなんですよ。日本の周りを見れば、主権国家としての歴史が五〇年ぐらいしかないような東南アジアの国々や、国際法という概念があるのかも怪しく、軍事力だけ肥大化している中国、あるいは、そもそも国際法なんて完全無視の北朝鮮といった国に囲まれているので、アジアが外交だけで安定するということはなかなか想定できない。
だとすれば、そんな不安定な地域では経済的な成長にもストップがかかると考えるのが自然です。でも、こういう議論はほとんど聞いたことがないんですよ。
柴山 アジアで主権国家システムが簡単には成立しない、という論点は重要ですね。しかし考えてみれば、ヨーロッパだってウェストファリア体制が確立した一七世紀は、同時にアメリカ大陸やアフリカ大陸に支配権を拡大していく重商主義の時代だったわけで、対外戦争を繰り返しつつ、かろうじて勢力均衡を図っていた。
それと同時に主権国家の歴史は、大国が小国を支配する重商主義や帝国主義の歴史でもあったわけで、その本質は今でも変わっていない。イギリスやアメリカという覇権国が、国際ルールを強制できる時代には、一時的に国際秩序も安定しますが、覇権が衰退すれば、資源や食糧をめぐる争いや、通貨をめぐる争いが起きてしまう。二〇世紀前半のイギリスの覇権衰退期にもそれが起きた。同じことがこれから起きても不思議ではないんです。
そうなると、日本は厳しいですね。第二次世界大戦前だってグローバル化が失調し、ブロック経済になると、日本は石油をとめられただけで何もできなくなってしまった。
Z・ブレジンスキーは日本を「ひよわな花」と呼んでいますが、エネルギー資源が乏しいというのは日本の致命的な弱点なので、今後、日本が地域覇権戦争に巻き込まれたとき、どうやって生存を確保していくかというのは、とてつもなく難しい問題です。
覇権戦争の危機といかに向き合うべきか
中野 アメリカの最大の懸念は、東アジアの覇権をめぐる中国との戦争です。そんなものは絶対に起こしたくない。中国のほうも、太平洋を全部支配するとかアメリカ本土を攻撃するつもりはさらさらない。単に東アジアを支配したいだけなので、アメリカが東アジアから出ていってくれれば、中国とアメリカは対立する理由はなくなる。自分の国の安全保障のためにシーレーンを確保したいから、アメリカには出ていってもらいたいだけ。そういう意味では、中国は現実主義で動いているんですよね。
一方、アメリカは中国が現実主義者だったら話し相手になりえるわけですよ。中国の要求が「グローバル覇権には興味がない。とにかく、東アジアから出ていってくれ」ということなら、アメリカは中国と話し合いの余地がある。いざとなれば、撤退すればいい。
柴山 簡単には撤退できないので、いろいろ軋轢は生じると思いますが、撤退をスムーズにするための話し合いは、これから頻繁に行われることになるかもしれません。
中野 そういう現実主義的な政治力学で米中が手打ちをしかねないというときに、自由や民主主義といった価値観を高々と掲げる「価値観外交」は有効と言えるのでしょうか? 自由や民主主義の価値観を掲げておけば、日本が困ったときに、アメリカが中国と戦ってくれると思っているのだとしたら、それは、相当無理がある。
事実、アメリカの現実主義者と呼ばれる人たちを中心に、東アジアからの撤退を唱える声がだんだん増えている。そうなったら、日本はアメリカ抜きでどう中国から領土を守るかということを本気で考えざるをえないのではないか。
アメリカは東アジアから撤退するという道があるけれど、日本列島は、東アジアから撤退することなどできないわけですから。
世界覇権なき世界を考える
柴山 世界覇権なき国際政治というのは、おそらく近代以降で初めての経験でしょう。イギリスが世界覇権を握る前の世界を、今生きている人は、誰も経験していない。とても大変なことです。
とはいえ、一部の左派系の論者が言うように、主権国家が融解する、新しい中世の時代がやってくる、なんてことは考えにくい。それは、EUというヨーロッパの実験を見れば明らかです。なぜ今ヨーロッパがあんなに内部分裂しているかというと、国家主権という考え方が、絶対に乗り越えることができない代物だからですよね。
一方で、これからブロック化の時代になるとも言われます。確かにこれから、地域ブロックをつくる動きが強まると思いますが、今のEUを見ても、地域ブロックは結局、ドイツのような地域覇権国への権限集中を伴わずにはいられません。国家主権の原理は簡単に消えませんから、地域ブロックは、成立したとしても内部の騒乱が収まらないわけです。
だから今後の世界は、世界覇権というものが衰退していく中で地域ブロック化の動きが強まるんだけど、主権国家はなくならないので安定したブロックもできない。こうした不安定な状況を見越して、世界はどうなるのか、日本はどうするのかという難問を解く必要があります。
中野 戦後、アメリカがとても影響力が強く、学問の中心であったせいもあり、政治学でも経済学でも、アメリカの覇権を暗黙の前提とした議論ばかりなんですよ。経済学などは典型で、たとえば自由貿易論などというものは、もし、航行の自由を保証する海洋秩序を守る覇権国家がなければ、本来、成り立ちえないような議論ですが、経済学者はそのことを無視している。
学者に限らず、政治家や官僚たちもみんなアメリカ覇権という枠の中でのみ有効な議論をしていて、アメリカ覇権という前提が壊れたらどうなのかという議論を仕掛けた人は非常に少ない。その認識の枠組みを抜け出すことが第一歩ですね。
柴山 現実主義は、平和がごく稀な歴史的条件の下でしか成立しないと考える立場です。それなのに、日本では現実主義だと立場を表明するだけで、「お前は戦争がしたいのか」と批判されてしまう(笑)。でも、現実主義的に考えるというのは、戦争をいかに回避し、あるいは先延ばしにできるか、という知恵を探すことなんですね。
中野 今日はふたりで、グローバリズムの話をしました。でもこういう話は経済学者たちだけに任せていちゃいけないんです。「経済は所与の政治的秩序の上に成り立っているものであり、政治から切り離しては、有意義な研究をすることができない」とカーも言っています。
イギリスから数えて覇権国家が存在していた時代は二〇〇年ぐらい。それが終わろうとしている。ならば、この二〇〇年の国際政治経済論の枠を超えたような議論が求められる。そんな議論をするためには、経済、政治にとどまらず、歴史から思想まで、あらゆる学問を駆使して総合的に考えないといけない。この危機の時代は、そうでなければ、切り抜けられないのです。そうであっても、切り抜けられないかもしれませんが(笑)
(構成・文=斎藤哲也)
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集英社新書より9月17日に発売。
中野剛志(なかの たけし)
評論家。1971年、神奈川県生まれ。元京都大学大学院工学研究科准教授。東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。エディンバラ大学より博士号取得(社会科学)。イギリス民族学会Nations and Nationalism Prize受賞。主な著書に20万部を超えるベストセラーとなった『TPP亡国論』、新刊『世界を戦争に導くグローバリズム』(共に集英社新書)など。
柴山桂太(しばやま けいた)
滋賀大学経済学部社会システム学科准教授。1974年、東京都生まれ。京都大学経済学部卒業。京都大学人間・環境学研究科博士課程単位取得退学。主な著作に『静かなる大恐慌』(集英社新書)、共著に『危機の思想』(NTT出版)、『成長なき時代の「国家」を構想する』(ナカニシヤ出版)、『グローバリズムが世界を滅ぼす』(文春新書)、『グローバル恐慌の真相』『TPP黒い条約』(共に集英社新書)など。