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おわりに
神里 達博
対談の最後に何を述べるか。これは考え出すとなかなか難しい。悩んだ末、震災から二ヶ月足らずの頃に朝日新聞に載せて頂いた次の文章が、本対談に臨むに当たっての、私自身の問題意識を最もよく表していることに気づいた。そこであえて、そのまま転載する。
日本は、四枚のプレートがせめぎ合う、いわば地球物理学的な特異点に位置する。まさにその巨大な力が存在するからこそ、ユーラシアの東の海に弧状列島が生じたのだ。温帯モンスーンと並び、その地殻の不安定さは我が国の最も基本的な条件である。我々の先祖は度重なる地震・津波・噴火と、おびただしい悲劇を目の当たりにしたが、いつもそれらを乗り越えてきた。我々の心の古層に根ざす透明な無常観と、未来への優しい楽観の源は、この物理的な条件と無縁ではない。
昭和という時代の空気の中で、我々は「一時的に」その事実を忘却していた。だが、最初に阪神大震災が、そして全国で引き続いた多くの天災がその記憶を覚醒していき、我々は3月11日の悲劇を迎えたのである。
今、考えなくてはならないことは無数にある。被災地の立て直し、原発事故の収束、エネルギー政策の再検討、東京一極集中のリスク、財政再建、高齢化への対処―、どれもが一つにつながっている。そんな絡み合った糸をほぐすのは容易ではないが、まずは自戒を込めてささやかなルールを。それは、「そうは言っても」という言葉を使わないこと。この枕詞に引き続く言明は、窮する感情ではあっても、まっすぐの現実ではない。事実を直視し、未来を想う。そこから始めたい。
(『朝日新聞』朝刊、2011年5月1日9面より) -
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そして、あれからもう一年が経とうとしている。いま改めて思うのは、世界中の至る所で新しい時代へと遷移していく兆しが見られることだ。問題はそれが「何年に一度の大事件なのか」ということだ。せいぜい数十年に一度やってくる、時代の変わり目なのか。それとも数百年に一度の歴史的なターニング・ポイントなのか。あるいは数千年に一度という、まさに文明論的な大転換点に人類は立っているのか。この判断は間違いなく、難しい。
本対談を通じて、私が最も注意したのはこの点である。本当にすごい変化を目の当たりにした時、我々のセンサーはあまりあてにならない。メーターが振り切れるからだ。愚者は自らの経験に学び、賢者は他者の経験に学ぶというが、いま、自分の感覚や経験「だけ」を頼りにしていると、まさに「時代」を見誤るだろう。理性と直観を駆使して主観的な思いこみを乗り越え、超歴史的な視座をなんとかして構築することが、重要ではないか。
この時代を支配している文明のスタイルが、どうやら曲がり角を迎えていること、結局これが私と萱野さんで共通するおもな問題意識であると思う。「没落する文明」のあと、いかなる「新・文明」が立ち上がってくるのか。これは言葉通りの意味で、私たちがこの明日をどう生きるかにかかっていると、思うのだ。
最後に皆さんに御礼を。いつもながら、自分は多くの方に支えられて幸せだと思う。
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本書は、萱野さんが毎週レギュラーで司会をされているCS放送・朝日ニュースターの『ニュースの深層』のゲストに、私を招いてくださったことが直接の契機となって生まれた。萱野さんとは、朝日新聞社の「ニッポン前へ委員会」でご一緒したことが縁。本書が世に出る上で、決定的なチャンスを作ってくださったのは間違いなく彼である。対談中には、脱線を続ける私の話を格調高く敷衍し、意味ある物語へと昇華させてくださった。おかげで、本を作る作業そのものが、知的刺激に満ちた楽しいものとなった。ここに改めて謝意を示したい。
また、萱野さんと私の出演した番組を視聴し、この新書企画を提案してくださった集英社新書編集部の服部祐佳さん、いまや論壇・思想系の出版において欠くべからざる「公共財」とも言うべき、優れたライターの斎藤哲也さん。おふたりにも大きな感謝を。
そして、本書で語られた様々な言葉は、これまで出会ってきた多くの知的猛者の友人たちや、碩学の恩師・同僚とのありがたい交流に依拠している。あまりにも多くの方にお世話になっており、お一人お一人の名を挙げることはとてもできないが、ここに謹んで皆さんに御礼を申し上げたい。ありがとうございました。そして、いつも私を支えてくれている家族にも、感謝の言葉を伝えたい。「はじめての新書が出ますよ、いつも、ありがとう」。
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