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没落する文明「はじめに」

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    第二章 グローバル化は平和と繁栄をもたらすのか?

    ▼第一次グローバル化のさなか世界大戦が始まった

    「ロンドンの住民は、ベッドで朝の紅茶をすすりながら、電話で全世界のさまざまな産物を、彼が適当と思う量だけ注文することができた。同じように、彼は自分の富を、世界の天然資源や新事業への投資に好きなように振り向けることができたし、少しも心を煩わせることなく、その果実や利益の分け前にあずかることができた」(『平和の経済的帰結』)

    この文章が書かれたのは一九一九年のこと。数年前のロンドン市民の生活を振り返って、描いたものです。「電話」を「インターネット」に置き変えれば、グローバルなネットワークの発達した二一世紀のことを表現しているのかと錯覚してしまいそうですが、これは第一次グローバル化時代の日常のひとこまなのです。

    作者は二〇世紀を代表する経済学者の一人、ジョン・メイナード・ケインズです。この文章のあとに現代にも通じる重要なポイントが続きます。

    「そしてなによりも重要なことは、彼がこのような事態を正常で確実で、いっそうの改善に向かうものとみなし、それからの乖離はすべて、常軌を逸したけしからぬもの、そして回避可能なものとみなしていたということだ」

    ロンドン市民の誰もが、グローバル化のもたらした平和と繁栄が「正常で確実なもので、いっそうの改善に向かう」と信じていたというのです。それにもかかわらず、現実には一九一四年七月、ヨーロッパは戦争へと突入しました。第一次世界大戦です。つまりこの戦争は、グローバル化が進展するまっただなかで起きた事件だったのです。一九一九年というヒントからお気づきの読者も多いかもしれませんが、ケインズがこの文章を書いたのは終戦処理のパリ講和会議の直後でした。

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    この章で私が強調したいのは、第一次グローバル化が、第一次世界大戦、第二次世界大戦という二度の大戦争によって終わったという事実です。国境を越えた商品や資本の移動が盛んに行われ、世界経済の統合が今と同じように進んでいたにもかかわらず、結局、第一次グローバル化は国家間の、過去に類例を見ない、熾烈な大戦争によって終わってしまったのです。

    このことは、現在のグローバル化、つまり第二次グローバル化の行きつく先を考えるうえで、きわめて示唆的です。過去と現在がまったく同じパターンを繰り返すわけではありませんが、少なくとも次のことはいえるでしょう。グローバル化は決して一直線に進むわけではなく、その過程で国家の対立をむしろ高めてしまう傾向にあるということ。グローバル化は世界を自動的に繁栄と平和に導くとは限らないということ。一〇〇年前にケインズが直観したのは、グローバル経済のそのような危うい性質でした。

    ▼グローバル化は永遠に続かない

    第一章で見たように、現在進行中の世界経済危機は、一般に考えられているよりずっと危険な状況にあります。現在の世界経済危機は、その巨大なバブルの発生という点で、戦前の大恐慌に匹敵するほどのインパクトをもつ事件なのです。そのことを踏まえたうえで、この章では、二番目の壁を突き破っていきましょう。

    この章で確認したいのは、戦前の大恐慌もまた、当時のグローバル化という文脈で起きた事件だったということです。一九世紀の後半から世界の貿易や投資が拡大し、その規模は、これまで我々が推定していたよりもはるかに大きいものであったことが、歴史学の世界で標準的な見解となりつつあります。戦前世界の一連の出来事─帝国主義、大恐慌、ブロック化による世界経済の分断─は現在と酷似した状況のもとで起きていたのです。

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    しばしば見落とされがちなことですが、戦前の大恐慌もアメリカで始まったバブルの崩壊が、ヨーロッパに飛び火することで一段と深刻になりました。一九二〇年代のヨーロッパには、バブルで好景気にわくアメリカから大量の投資が集まっていましたが、一九二九年の株価暴落でアメリカの資金が急速に引きあげていき、欧州全体が激しい資金不足におちいりました。そして、一九三一年のオーストリアのクレジット・アンシュタルト銀行の倒産を皮切りに、欧州では大手金融機関の連鎖倒産が起こり、それが世界恐慌に拍車をかけ、やがてナチス・ドイツの台頭を生んだのです。

    この事実をどう解釈すべきでしょうか。日本では、グローバル化が失敗に終わる可能性について議論されることは、(私の目につく限り)ほとんどありません。それどころか、冷戦が終わり、世界経済がグローバルに統合されていることで、世界はいっそうの平和と繁栄に進んでいるというシナリオが、政府の政策でも企業の経営判断でも、無自覚に前提とされているように見えます。

    確かに、目に見える大戦争の脅威は、ないかもしれません。世界各地で民族紛争や内戦が起きていることは、日々の報道を通じて伝わっていますし、エネルギーや原材料など天然資源をめぐる大国間の駆け引きが盛んに行われていることもよく知られていますが、大きな戦争が起きる可能性となれば、ほとんど笑い話で終わるレベルでしょう。今のグローバルに結びついた世界が、突然、崩壊や分解に向かうとは誰も考えていません。

    しかし、歴史を振り返ると、こうしたシナリオが必ずしも笑い話ではすまなくなります。過去に現在とよく似た状況があり、それが悲劇的な結末を迎えた事実は、何度も確認されてしかるべきなのです。

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