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多様性を考える言論誌[集英社クォータリー]kotoba(コトバ)
 
資本主義の超克「閉じてゆく帝国」と日本の未来 水野和夫(法政大学法学部教授)

「閉じた帝国」が複数、存立する時代がやってくる─—。世界秩序の衝撃的な未来像を描くのはベストセラー『資本主義の終焉と歴史の危機』の著者、水野和夫だ。

「閉じた帝国」が複数並立する、次なる時代

 トランプ大統領が打ち出す極端な政策が、次々とニュースとして飛び込んでくるのを見るにつけ、世界は、複数の「閉じた帝国」が並立する新しい秩序に向かいつつあることがいよいよはっきりしてきました。
 資本主義が最終局面を迎えている現在、その終焉とともに、近代国民国家も終焉に向かっている。その長い混乱期を経て、世界は複数の帝国に分かれ、その帝国のなかで政治も経済もほぼ完結するような時代が、数世代のちのそう遠くない未来にやってくる、ということです。
 それは、「閉じた帝国」のなかが、まるで現在の「世界」と同じような単位になる時代です。帝国の内側で、エネルギーや食料、工業製品を調達する。日々の経済活動も、「より近く」地域や地方単位で営まれるようになる。そして、帝国と帝国の間では、干渉や交渉がほとんどない。それが望ましいし、その理想に近づけた帝国こそが、うまく生き延びていくのでしょう。
 とっぴな発想だと驚かれるかもしれません。
 しかし、アメリカだけが世界のスーパー・パワーであった時代が終わりつつあるのは明らかです。トランプ大統領の誕生の背景には、冷戦終結以降、世界一の覇権国家であったアメリカが作ってきた世界秩序、すなわち新自由主義的なグローバリズムの限界があったことは衆目の一致するところでしょう。アメリカのみが世界の最強国である時代は終わりつつあり、EU、ロシア、中国など、アメリカと並びたつような勢力が「複数」になってきました。
 そのなかでも、EUは「閉じた帝国」に向かうトップ・ランナーです。EUの根底にあるのは、「ヨーロッパは一つだ」というフランク王国のカール大帝以来の理念です。ヨーロッパの原型は、西暦八〇〇年ごろの中世にあり、現在のドイツ、フランス、ローマを含む北部イタリア、そしてバルセロナを含む北部スペインにあたる地域でした。この地域は歴史的な同一性が高いのです。
 そこで重要なのは、そのフランク王国の版図にイギリスが含まれていなかったという事実でしょう。イギリスが離脱したEUは、本来の帝国の姿に一歩近づきました。
 同様に、新興国の中国、ロシア、トルコはいずれも、前近代において帝国として世界の秩序を形成していましたが、アメリカの一極覇権秩序が終わるなかで再び力をつけてきています。

国境の壁を築いても階級の壁が分厚くなる

 当のアメリカ国内では、社会の分断が大きな問題となっています。資本主義の限界とともに、格差解消がますます困難になり、民主主義にも危機が訪れています。とはいえ、一七世紀に起源をもつ近代国民国家までが終わるという考えにはなかなか賛同してもらえないかもしれません。しかし、フランスの国際政治学者であるジャン=マリー・ゲーノは、二〇世紀の終わりの段階で、すでにこのように述べています。「国民国家という集団は、……(中略)中世の王国から近未来の『帝国の時代』への移行期に発生した、一時的な政治形態に過ぎないのかもしれない」(舛添要一訳『民主主義の終わり』講談社 二七頁)と。
 その「一時的な政治形態」である国民国家が、資本主義の終焉とともに制度疲労を起こしているのです。
 資本主義においてフロンティアがなくなる最終局面で、利潤を得ることが難しくなればなるほど、資本は先進国の人々をも利潤を搾り取る対象にしていきます。国家も「国民」国家であることをやめて、国民よりも資本を選ぶ。国家は企業が、すなわち資本が活動しやすいように規制緩和や法整備をすることで、資本に奉仕すれば経済成長を実現できると思っている。
 トランプ大統領は、国内の雇用を復活させるといいながら、金融規制を撤廃するなど本気で経済を安定させるつもりがないことに端的にそれが表れています。金融の肥大化とショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)を通じて、頻繁に繰り返して起こるバブル崩壊時に大リストラが実施されるからです。「アメリカ・ファースト」とは、グローバルなアメリカ金融帝国から「閉じたアメリカ金融帝国」への帝国縮小宣言にほかなりません。
 国境に壁を建設したところで、資本主義を終わらせないかぎり、アメリカ国内の階級の壁が分厚くなるばかりです。

ゼロ成長、人口減少という中世回帰

 以上のことを、もう少し長い歴史のスパンのなかで説明してみましょう。
 近代の主権国家システムは、主権をもつ諸国家がそれぞれ対等だという建前の上で成り立ってきました。
 しかし現実には、「海の国」である英米が、覇権国として、巨大な軍事力と経済力を背景に、世界の「中心」として秩序を形成してきました。冷戦期では米ソが東西それぞれの「中心」であり、冷戦終結後は、アメリカが世界の警察官であると同時に、民主主義の伝道役となって世界を束ねようとしたのです。
 しかし、もはやアメリカにそのような力はありませんし、EUや中国、ロシアも、世界を支配しようとは考えていません。その結果、小さな「中心」によって世界が分割される「閉じた帝国」が並立する状況が生まれつつあるのです。
 これは世界史的に見れば、中世への回帰と捉えることができます。中世の世界も、「閉じた帝国」が並立する時代でした。それに加えて、現代社会と中世にはいくつもの共通点があります。
 経済面では、ヨーロッパ中世(五〇〇〜一五〇〇年)はゼロ成長の時代でした。西ローマ帝国が滅んだ直後から中世が終わるまでの間、世界の一人あたりの実質GDP(国内総生産)成長率は、わずか年〇・〇三パーセント(五〇〇年間で一・三五倍)です。
 一方、現代社会でも、先進国は低成長と超低金利が常態化しています。もはや世界のどこにもフロンティアはないのですから、長期的に見れば、世界全体がゼロ成長の時代を迎えることは明らかです。
 あるいは人口減少という点でも、中世化が進行しています。
 中世の人口増加率は年〇・〇八パーセントであり、一〇〇〇年にわたって、人口がほとんど増加しない時代だったのです。
 二一世紀の前半に入ると、世界全体でも人口増加率は減速すると予測されています。二〇一五〜二〇五〇年には年〇・八〇パーセント、二一世紀の後半には年〇・二八パーセントしか増えないと言われているのです。そして、アフリカを除いた場合の人口増加率は、なんとマイナス〇・一二パーセントという予測です。
 さらに、英米という海の国が衰退し、EU、中国、ロシアというユーラシアの陸の国が存在感を強めていることも、中世回帰の証左となるでしょう。近代地政学の祖とも呼ばれるイギリスのハルフォード・マッキンダーは『デモクラシーの理想と現実』で、一九一九年に「世界島を制する者は世界を制する」(一七七頁)といって、「世界島=ユーラシア大陸」の重要性を強調しました。それから約一〇〇年を経て、マッキンダーの言葉はますます現実味を帯びています。

希望という華々しいトランプの茶番劇

 とはいえ、「閉じた帝国」という中世回帰の動きは始まったばかりであり、建前上は主権国家システムが継続しています。その機能不全が「歴史における危機」となって現れているのが現在の状況です。
 スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルトは『世界史的考察』(新井靖一訳 ちくま学芸文庫)のなかで、西ローマ帝国崩壊、「長い一六世紀」における宗教戦争、そしてフランス革命から普仏戦争にいたるまでの三つを「歴史における危機」であると指摘しています。「歴史における危機」とは、既存のシステムが崩壊して機能不全に陥るなかで、いまだ新しいシステムの形が見えない状況のことをいいます。既存システムの崩壊とは、簡単にいえば秩序が崩壊しているということです。秩序が保たれるためには、生命の安全が守られていること、国家や国のリーダーが約束を守ること、財産がきちんと保護されていることが必須の要件です。
 ところが、現代ではいずれの条件も満たされていません。
 九・一一以降、現在のIS(イスラム国)にいたるまで、世界中でテロが頻発しています。戦後の立憲主義を無視して、安全保障関連法案が成立しました。そして貧困や格差が拡大し、国民の財産よりもグローバル企業の利益が優先されています。
 しかも私たちが直面している第四の「歴史の危機」は、過去三回の危機に比べてはるかに深刻です。というのは、過去三回はいずれもヨーロッパという限定された地域で起きた危機であり、「新しい空間」を発見すれば乗り切ることができました。
 たとえば「長い一六世紀」の危機は、オランダとイギリスが「海」という空間を発見することで、近代資本主義システムへと転換して乗り越えましたし、三度目のフランス革命以降は、帝国主義によって乗り越えました。世界史は、つねに空間を膨張させ、「」を継続することで、新しい時代へと移行していったのです。
 ところが、資本主義の終焉という現代の危機では、もはや利潤を得る「地理的」な空間は残されていません。トランプ大統領がしようとしているように、資本主義を延命させたまま、帝国化するのであれば、「電子・金融空間」でバブルの生成と崩壊を繰り返すことでしか資本を増やすことはできない。それこそ第二次世界大戦前のブロック経済の愚を繰り返すことになりかねません。「閉じた帝国」の並立する世界秩序が安定することは望めないのです。
 ブルクハルトはこうした「歴史の危機」において、大衆の「完全な無定見」な意見がまかり通り、指導者の質が劣化し、「希望」という「華々しい茶番劇」が繰り広げられる法則があると書き残しています(『世界史的考察』二九八頁)。「アメリカ・ファースト」という「希望」で大衆を操りながら、相互に矛盾した政策を並べ立て、最終的に世界がどうなるかを省みないトランプ大統領は、ブルクハルトの法則を私たちの前で証明しているのです。
 本来ならば、ここで日本の経験が活きるはずでした。日本は世界でいち早くゼロ成長、ゼロ金利、ゼロインフレに突入したのですから、定常状態の経済に活路があることを世界に見せつつ、ルール・メイクするチャンスにすることができたはずでした。
 にもかかわらず、トランプ大統領がアメリカを閉じようとしてもなお、対米従属に固執し、「閉じたアメリカ」のなかで搾取される従属体制を強化しようとしています。端的にいって、日本は、近代のあとにやってくる「次なる時代」への実験に踏み出せていません。
 まずは、世界の秩序がどう変わろうとしているのか。トランプの目指す世界とは何なのか。多くの論者がいうようにEUは本当に失敗しているのか─。「閉じた帝国」が並立する「新しい中世」の時代を、日本人は真剣に考えなくてはならないのです。

水野和夫(みずの かずお)

法政大学法学部教授。1953年、愛知県生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)を歴任。主な著書に『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)など。

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