特集『福島第一原発〜真相と展望』アーニー・ガンダーセン

訳者手記

◎東京を離れて

 本書の元となったインタビューのために、私が米バーモント州のオフィスと自宅を訪ねてから、ちょうど4カ月。2012年2月、出版を機に来日したアーニー・ガンダーセン氏はガイガーカウンターを片手に、移動した先々で放射線量を測定していた。携帯性を重視した機器を持参していたが、少なくとも相対的な比較はできる。
 地面に近づけると、空中線量の3倍ほどに値が跳ね上がる。子供たちが石を拾ったり草を掘り返したりして遊んでいる道路の脇や公園、住宅街やオフィスビルの屋上で高い値が検出された。恐れていた通りだった。放射線量の測定だけではなく、土壌サンプルも採取した。ホテルの部屋へ戻ってから水分をドライヤーで飛ばし、帰国してから分析した結果、いずれもアメリカならばテキサス州の地中深くに放射性廃棄物として埋蔵する必要があるほど汚染されていた。
 若ければ若いほど注意しなければならないと彼が忠告しているマスクの装着や飲食物の摂取について、ガンダーセン氏自身はそれほど神経質にはなっていなかった。短期の滞在だったこともあるが、なにより放射能に対する感受性は年齢によって著しく異なる。地面近くで活動し、体の小さな子供たちは、細胞分裂が盛んなために放射性物質の影響を受けやすく、内部被曝によるDNAの損傷が特に問題となるという。
 ガンダーセン氏は、「急性症状を引き起こさない程度の被曝ならば、自分の場合は生きている間にその悪影響が顕在化する確率は低い。日本で退職した年配の技術者たちが福島第一原発の現場で貢献したいという動きがあるが、それに共感する」とも述べていた。専門的な知識と経験を持つ年配者が福島第一の現場で働こうとすることは、決して感情的な〈自己犠牲〉などではなく、きわめて合理的な行動であると評価していた。
 日本記者クラブでの会見、連日のメディア取材、日本弁護士連合会への表敬訪問。過密スケジュールではあったが、私は原発が立地する地域をガンダーセン氏に視察してもらうことにこだわった。メルトダウンの直接的な引き金となった海水取水系ポンプの脆弱性や推測される配管の破断は、全原発に共通の課題である。耐震性も放射性物質の格納能力も不十分なGE社マークIBWRは、浜岡原発3、4号機でも使用されている。それだけではない。仮に全炉を廃止できたとしても、問題は終わらないのだ。使用済み核燃料の処分や廃炉が済むまで危険に直面し続けるのは、立地自治体なのである。

◎浜岡原発

 冷たい風が吹きつける2月下旬のこの日、ゲートボールに歓声を上げる地元民やサーファーたちの姿はなかった。遠江の最南端に位置する御前崎の知人宅では、駿河湾の向こうに富士山を望む。波打ち際を縁取るように、「原発道路」が浜岡原発から灯台の下を通って御前崎港まで10キロほどのびている。砂丘や岩礁のため原発に港がつくれず、中部電力が整備したのだ。
 沿道でカフェを営む友人によると、道路を閉鎖して核燃料等を搬出する際には中電がインスタントコーヒーの詰め合わせといった粗品を携えて挨拶に来る。それに対し「米国では予告せず極秘に輸送する」とガンダーセン氏は語った。そう言えば、フィンランドの地下貯蔵施設を扱ったドキュメンタリー『100,000年後の安全』をみて印象的だったのは、地盤や地下水による影響といった自然の脅威よりも、後世の人間が使用済み核燃料を発掘する懸念の方が大きいという事実だった。悪用する意図がなかったとしても、考古学的に意味があるのではと思って掘り返してしまうかもしれない。絵文字等で危険を伝えたとしても好奇心を余計に刺激してしまう恐れがある。だから警告すべきか徹底的に隠すべきかで意見が分かれるのだ。
 浜岡原発の広報施設「原子力館」が観光名所であることも、ガンダーセン氏にとっては意外だったようだ。看板には「HAMAOKA NUCLEAR PLANT」と英語でも明記してある。軍事機密やテロに対して神経を尖らせてきた米国では、例えばマンハッタンから50マイルのインディアン・ポイント原発を指し示す標識には「インディアン・ポイント」としか表記されていない。
 本格的な科学館と呼ぶにふさわしい規模にも驚いていた。展望台へのエレベーターはひとクラスの生徒全員が乗れる大きさで、実物大の原子炉模型の中を上っていく。制御棒などのパーツは実際に動き、映像と共に核分裂反応の仕組みが解説される。原発の敷地を見下ろせる窓からは、田畑や住宅、神社の上を横切る高圧電線が目立つ。海沿いは工事中で、反対側の窓の外には風力発電のタービンが立っている。
 著書でガンダーセン氏が指摘している通り、福島第一で起きたメルトダウンの直接的な原因は海水取水用系設備の壊滅だった。原子炉の種類を問わない共通のリスクであるためか、防潮堤やディーゼル発電機に比べて東電や保安院による言及は少ない。しかし、東電との差別化を図りたい中電は、海水取水系設備の強化計画を発表している。津波に直接襲われなくても海水取水設備が浸水する事態を想定し、機能喪失を多重に防ぐのだ。海水取水ポンプを建屋で保護し、扉を防水化し、水中で使えるポンプを準備し、各号機間の相互融通を高める。非常用発電機や冷却水タンクと共に、高台には電池や移動式ポンプを備える。
 ただ、工事が完了するまでは脆弱なままだ。しかも浜岡は地形の関係で、海岸線ではなく沖合からトンネルを通じて取水している。運転停止したとはいえ、廃炉が決定した1、2号機の使用済み核燃料プールも含めて冷却され続けねばならない。隣の牧ノ原市議会は永久停止を、三島市や吉田町の議会も全廃炉の要請を決議している。リスク分散の観点から工場の移転を口にする企業もある。福島第一の事故を機に、立地自治体以外の意見も無視できなくなっている。
 原子力館の展示室へ進む。地下貯蔵を学ぶためにエレベーターで地中に降りて行く演出がなされたりして非常に凝ったつくりだ。他のエネルギー源と比較した原子力の長所、自然界に存在する放射線、出勤する作業員に扮して〈体験〉する現場の安全管理などが強調されている。計画通りに進んでいない再処理に関する解説がテープで修正されている様子は前回訪れたときにも見受けられたが、撤去されたのか見当たらないものもあった。例えば、ハンドルを回すとガラスケースの中で地震がシミュレーションされ、木造家屋の模型が激しく揺れるものの「原発は地盤に直接固定されているので微動だにしない」といったような展示は消えていた。

◎御前崎市役所

 次に車で5分も離れていない御前崎市役所へ向かった。2階の応接室で、原子力対策室の室長や大澤博克市議会議員と面会する。ガンダーセン氏は、「海水ポンプ対策をはじめとした工事を再稼働のためだと捉えるべきではありません。運転停止中の現在も、計画が完了するまでは冷却機能の喪失と紙一重の状態なのです。廃炉が決定した1、2号機にも使用済み核燃料が入っていますよね?」と聞いた。
 確かにその通りだが、説明によると1号機のプールに残されている使用済み核燃料は1本だけだそうだ。被覆管に損傷があるため六ヶ所村でも受け取ってくれないという。問題は使用済み核燃料だけではない。「使用前の核燃料は何年間保管できるのか」という質問が、ガンダーセン氏に向けられる。4号機でのプルサーマル計画が度々延期されているとは知っていたが、使用の見通しが立たないMOX燃料がすでに運び込まれており余っているのだった。 ウラン燃料より高額で保管も困難なMOX燃料が、通常の数倍の交付金で推進されている。「交付金が幾らかという話にしか関心がなく、技術的なことを無視する人も多い」という嘆きも聞こえた。
 御前崎市では、市民もガンダーセン氏との意見交換に参加してくれた。ガンダーセン氏は市民からのさまざまな質問に答えた。親子連れもいれば、震災を機に宮城から引っ越してきた人もいる。近所には福島からの避難民も暮らしている。40年間地元で漁師として生計を立ててきたという男性に「私も原子力エンジニア歴40年です」とガンダーセン氏が応じた。「建設当時、周りは反対していたでしょう?」と氏が尋ねると、「そりゃ、もう」という答えが返ってきた。皮肉なことに、新規立地が抗議活動に阻まれることで全国54基の原子炉は19カ所に集中した。結局、他県の候補地では建設が実現せず、中電唯一の原発である浜岡では6号機まで計画されていた。福島第一では7、8号機が誘致されていた。
 東海地方では「江戸時代から警戒されてきた大地震がまだ来ていない」などと教えられ、50キロ西の浜松市に住んでいた私は小学校低学年の頃、交通事故と地震を念頭に黄色いヘルメットをかぶって通学することになっていた。「そんなに危険なの?」と海外の知人たちが仰天したものだ。
 御前崎では、地震や台風による通行止めを何度も体験している。海と山に密着した温かいコミュニティが魅力な一方で、年に数回ほど遊びに行くだけでも自然災害とのニアミスが多いことを実感している。花火大会から帰宅する見物客が渋滞を迂回できない地区で、緊急時にどうやって逃げろというのだろう。
 政府の要請で全炉停止中の浜岡原発も、2012年12月に防潮堤が完成すれば、中電が国に運転再開を求める予定だという。

◎事故発生から1年

 老朽化、地震、津波、爆発、火災、台風等に加え、設計を超える応急措置ではかりしれない負荷がかかっている福島第一原発は依然として予断を許さない状況だ。東日本大震災では、福島第二や東海第二、女川原発も危機の一歩手前だったという。福島第二の所長は、「金曜日ではなく週末に起きていれば人員が足りなかっただろう」と語っている。
 私たちは分岐点に差し掛かっているとガンダーセン氏は説く。もはや原発は新規建設も改良も非常に高コストとなっている。事故前すでに、浜岡原発1、2号機は耐震補強を施すより廃炉にした方が採算が合うと判断されていた(もっとも使用済み核燃料プールが使われているので廃炉にできないのだが)。
 一方で、分散型エネルギーの秘める可能性が注目を集めている。世界の風力発電の総出力はこの10年間で大きく伸び、太陽光パネルも量産によって価格が下がっている。日本では潮力や地熱にも期待できそうだという。ベースロードには向かないと決めつけられてきた再生可能エネルギーだが、懸念材料であった安定性はIT技術で制御できるようになった。電気自動車を電源にして給電するV2G(Vehicle to Grid)も有望で、蓄電の研究が進められている。
 事故後、頻繁に耳にして印象的だった言葉があった。一つ目は「専門家に任せろ」という趣旨のもの。平時から関心を保ち続けることを怠った私たちの態度こそが破局を招いたのに、真顔で唱えられていた。あるいは「意見が割れている」「何を信じていいのかわからない」という批判。学説が一つしかないとしたら恐ろしく非科学的だし、今回は未知数の部分が多いだけでなく、論者にはそれぞれの立場がある。唯一の正しい答えを教えてもらおうという姿勢では、ミスリードされるのも無理はない。
 建屋は水素爆発して原形をとどめていないのにスタジオには無傷な模型が並び、1万人強のデモが黙殺されるテレビ画面を眺めているのがどんなにシュールだったとはいえ、報道と現実との乖離は今に始まったことではない。不正や権力の濫用を告発するのではなく、政府の意向を汲んで視聴者や読者を「落ち着かせる」、すなわち〈なだめる〉役割をマスコミは買って出ていた。私自身、ガンダーセン夫妻へのアプローチに、ある意味で取材・構成そのものよりも骨を折っている。事故後、日本のメディアが真実を捻じ曲げる様子を目の当たりにし、実際に取材を受けて経験していた彼らの警戒心を解くには、意見交換に時間をかけて信頼関係を構築する必要があった。
 二つ目は、「投票が唯一の政治的な意思表示だ」という言葉。事故から間もない4月末の統一地方選挙で変化を促そうという意図に基づいて掲げられていた。一票を投じることはもちろん重要だが、それは終わりではなくきっかけにしかすぎない。本来は私たちの生命と財産を守るのが政府の最も基本的な役割であり、情報を得ることも含めて様々な権利が存在しているはずだが、それらは自動的に保障されるものではない。政治も市場も社会も見えざる手によって健全に操作されているのではなく、声の大きい者が影響力を発揮しているのが現状だ。対抗するためには、透明性を要求し、関与し続けねばならないのである。
 震災から1年、BBCは Japan’s Children of the Tsunamiというドキュメンタリーを制作した。番組では、被災地の子供たちが淡々と話している。「これほど放射性物質が広まってしまったのに除染できるはずがない、言われているより長い間にわたって故郷へ帰れないのでは?」。幼い彼らは、自分たちの子供、未来の世代、海外の人々といった、顔の見えない人たちの健康を心配していた。「将来は安全を優先させる仕事をしたい」。これこそが直感的な反応ではないだろうか。
 1979年のスリーマイル島事故、1986年のチェルノブイリ事故で、事実の隠蔽を2度も見てきたガンダーセン氏は、今度こそは被害の拡大を許さないと決心したという。
「これまで自分が培ってきた経験や苦労は、この試練のために積み重ねてきた」

(写真/編集部)