広義のセクハラと狭義のセクハラ
 セクハラとはいったい何かわからない、セクハラにあたるかどうかの線引きが悩ましい、という声もよく聞きます。そういう方々は、往々にしてセクハラを、真っ黒の有罪か、さもなくば潔白な無罪か、というように捉えておられるようです。しかし、それはあまりにも非現実的。実際にはセクハラは、どちらとも受け取れる、いわばグレーゾーンが多いのです。
 そもそも日本語として流通している「セクハラ」には、使われ方にだいぶ幅があって、大きく分けると広義のセクハラと狭義のセクハラがあります。日常語としての使い方と法的な使い方と言ってもいいですし、イエローカードとレッドカードの違い、と言えばもっとわかりやすいでしょう。この二つは、重なりはありますが、大いに異なります。
 狭義は、その行為はハラスメントにあたると「公式認定」されるセクハラ。訴えや相談があり、調査を経て、「これはハラスメントだ」と判断されて、何らかの措置や処分が下されるものです。いわばレッドカードが突きつけられるわけです。その中には、強制わいせつのような犯罪やあからさまな強要を含む「真っ黒」なものや、人権侵害にあたるものも含まれます。
 他方、日常語としての使い方はもっと広義です。まだ結婚しないのとしつこく聞かれたり、イマイチの上司からカラオケでデュエットしようと誘われたりして、「ウザイなぁ」「ちょっとやめてよ〜」と思うときに、「それってセクハラですよ」と、軽くジャブを出す使い方です。面と向かって「嫌です」「やめてください」と言うのでは角が立つので、「セクハラじゃないですか」と軽く言うわけです。これはいわばイエローカードで、注意してやめてくれればそれでいいわけです(サッカーなら同じ試合で二枚出されるとレッドカードと同じ退場ですから、それより軽いですね)。
 このイエローカードの「セクハラ」の用語法は、大変便利です。一九八九年にセクハラという言葉ができて、あっという間に流行語となりましたが、そんなふうに広がったのは、便利な言葉だったからにほかなりません。「嫌です」とは言いにくくても、冗談めかして注意喚起をしやめてもらえる、とても便利で有効な使い方です。言った本人、やった本人の意図がどうあれ、冗談めかした注意喚起ですから、使いやすいのです。
 このときの「セクハラ」「ハラスメント」は、したがって狭い意味での、人権侵害にもあたる処分を必要とするようなハラスメント、セクハラとはだいぶ違います。この広義の使い方では、「真っ黒」に近いものも含まれ得ますが、グレー、それもかなり白に近いグレーもあるでしょう(「強要」と認められるものでさえ、当事者の立場によって曖昧でもあることは、第四章で詳しく見ていきます)。
 セクハラが悩ましいのは、立場の違いで見え方が違うからだけでなく、このように「グレーゾーン」が大きいことにもよります。そして、「グレー」にも大きく濃淡があるのです。

グレーゾーンはどちらにも転ぶ
 グレーゾーンのセクハラは、その後の対処次第でどちらにも転びます。対処を間違えると、「たしかにマズいけれどまぁ許容範囲」で済むことが、真っ黒のセクハラになってしまうのです。
 二〇一一年の初めにメディアをにぎわせた、有名政治家のセクハラ発言がありました。この政治家、酒席でご機嫌だったのでしょうか、女性記者に、「俺も歳だけど、まだタツかな」「オー、タツ、タツ、俺もまだ大丈夫だ」「ビンビンだ」などと放言したとか。女性記者の胸元を触らんばかりの勢いだったとも伝えられています。
 これがイエローカードなのは間違いありません(政治家にはとくに高いモラルが求められるべきだからイエロー判定は甘い、というご批判はあるでしょうが)。
 聞かされた女性記者は、ウンザリ感いっぱいだったでしょうが、ではこれが、しかるべきところに訴え出て謝罪や慰謝料を要求すべきレッドカードとしてのセクハラかというとそうでもないでしょう。しょっちゅうこうした言動を繰り返し、女性記者たちが取材するのに困るような事態に至っているなら別ですが(その可能性はなきにしもあらずですが)、一度限りのことならば、そこまでのペナルティにはなりません。
 しかし困ったことに、この政治家、「官房長官のセクハラ」としてこの件を報道した週刊誌を相手取り、名誉毀損の訴えを起こしたのです。二〇一二年六月、東京地裁は「男性の立場では笑い話であっても、不愉快に考える女性は少なくない。女性記者へのセクハラにあたると問題視されてもやむを得ない」と判断、「セクハラと受け取られかねない言動があった」と政治家の訴えを棄却しました。

 この政治家、どうすべきだったのでしょうか。そういうお下劣なことは人前では言わないのが常識ですし、政治家という立場ならなおさらです。でも一般の男性なら、人間だもの、酔っぱらってはめを外すこともあるでしょう。部下の女性たちの前で卑猥なことを口走ってしまうこともあるでしょう。たしかにそれは、セクハライエローカード。でも、朝になって酔いが醒め、まずいことを言ったとわかったならば、率直に謝ればおおごとにはなりません。
 翌日、「昨日は酔っぱらって不用意な言葉遣いをしたようだ、気分を害したら申し訳ない、こんなことがないようこれからは十分注意するよ」と、詫びましょう。くだんの政治家も、お詫びのメッセージを添えて花束でも贈っていれば、女性記者は苦笑いしながら「気にしてませんからお気遣いなく」と済ませてくれたのではないでしょうか。それならばこれで一件落着、彼のセクハラは「事件としてのセクハラ」になりません。有名政治家だけに、対立する政党や勢力から「政治家として道義的に問題」などの批判は出るでしょうが、政治家としての責任を問われるような結果にはならないでしょう。報道に対しても「酔っていたとはいえ申し訳なかった、女性記者にはすでに謝罪済みである」と対応できたでしょう。
 ところが、この政治家がしたのはそれとは真逆。セクハラなど一切していないと週刊誌を訴えたのですから、ことは収まるどころか、拡大していきました。おかげでこの女性記者は、当夜に気分を害しただけでなく、訴訟紛争の関係者となってしまいました。これで彼女は、この政治家へ記者として取材をすることが難しくなったでしょう。言ってみれば、彼女は、この政治家の発言をきっかけとして、政治記者という職業上、大きな痛手を負ってしまったのです。これは、重大なセクハラと言わざるを得ない事態です。