俺は、学問にはいじめから人を救う力があるのではないかと思っています。問いというものは、今の自分から遠い問題だったりすると、なかなか生まれにくい面がある。自分の場合も苦しんでいるなかで、いろいろな問いが生まれました。
学校の授業や学問そのものは、生活指導などと違って、いじめから遠いもののように思われるかもしれないけれど、「この環境の中でどうやって生きていったらよいのだろう?」というのは、一つの大きな問いであって、それが学問の本質でもあると思います。それぞれの教科の中にそういう面があるわけです。
たとえば、「どうやって生きていこう?」という問いを、「どうすれば、この世界が面白いと思えるようになれるだろう?」という問いに、変換してみるんですね。すると世界が面白い問いに満ちていることに気づきます。なぜ三角形の内角の和は百八十度なの? とか、そんなことでもいいんです。
あるいは、世界にはまだわかっていないこと、自分が出会っていない面白いものがたくさんあるのではないかと考えて、「それを自分が見つけたらどうなるんだろう」とか「面白いものに出会ってみたい」などと想像することもできます。そういう謎というか、問うための基本的な知識が各教科には詰まっていると思うので、それに気づいてほしい。