はじめに――いまはじまろうとしていること
標高八百五十メートルの信州の里山に、私がワイン用ブドウの苗木を植えたのは、いまから二十年あまり前のことでした。
それは当初、専門家から、この標高ではブドウ栽培は無理、といわれた素人の無謀な挑戦でしたが、二〇〇三年に酒造免許を取得して醸造を開始すると、そのわずか二年後には国産ワインコンクールで銀賞を、五年後には同コンクールの最高金賞を受賞するという、望外の結果をもたらしました。その後も同コンクールの欧州系品種部門で毎年のように受賞を重ね、とくにシャルドネに関しては、ヴィラデストのリザーブは日本を代表するブランドとして認知されるまでになりました。
また、辺鄙な山の上のワイナリーでレストランとショップを営む『里山ビジネス』は、成算のないままスタートしたにもかかわらず多くの人びとに支えられ、毎年四万人以上の来場客で賑わっています。
経営的にはつねに厳しい状況に直面しているとはいえ、とにもかくにも二十余年前には耕す人もなく荒れるにまかされていた農地が、いまや日本でも有数の上質なワイン産地として豊穣な収穫を約束するヴィンヤード(ブドウ畑)に生まれ変わったのですから、客観的には成功したと評価されてよいのかもしれません。
こうした経緯もあってか、東御市でワイナリーをやりたい、といってくる人が、最近、急に増えてきました。
東御市は、二〇〇八年にワイン特区の認可を取得しました。ワインをつくるために必要な果実酒製造免許を取得するには、最低六千リットル(ボトルにして八千本)以上の生産が義務づけられているのですが、特区内であれば三分の一の生産量で免許が取れます。その制度を利用して、東御市内にはすでにふたつの新しいワイナリーができています。
この地域でブドウを栽培したい、できれば将来ワイナリーをつくりたい、といって移住を希望する人たちの多くは、この制度を利用しようと考えているのだろうと思います。
ふたつの新しいワイナリーも、それぞれの施設を建設する準備ができるまでは、栽培したブドウをヴィラデストに持ち込んで醸造していました。これから参入しようとする人たちも、まず畑を手に入れてブドウを育て、何年かして収穫ができるようになったら、こんどは三軒のワイナリーのどれかに醸造を委託して、自前のワイナリーを建設する資金が確保できるまでの間を繋ぐことになるでしょう。
こうして、すでにあるワイナリーがゆりかごとなって、次の世代のワイナリーを育てていく、この繋がりをもっと強くたしかなものにしていくことができれば、東御市を中心とした千曲川流域沿岸に、たくさんのワイナリーができる日が来るに違いありません。
特区の範囲は東御市からさらに広がる可能性もありますし、もう少し規模の大きいワイナリーを建てたいと考える人も出てくるでしょうから、軽井沢を東端とする、御代田町から小諸、佐久、東御、上田の各市、坂城町に青木村を含めた東信地区に加えて、すでにひとつの有力な産地を形成している北信の一帯までをひとまとまりと考えれば、千曲川の流れに沿ったこの地域が日本一のワイナリー集積地になるのではないか……。
私は、そんなことを考えながら、とくに最近、意識して「千曲川ワインバレー」という言葉を使ってきました。
日本のワインは、いま急速な進歩を遂げています。
なかでも長野県はそのトップランナーとして評価が高く、世界と勝負できる品質のワインを続々と生み出しています。
が、そのことを認識しているのは一部のワイン愛好家だけで、日本で優れたワインができるようになったことも、長野県がいま「ワイン県」になりつつあることも、多くの日本人は(長野県民も含めて)知らないといっていいでしょう。
土を耕し、ブドウを育て、できたブドウを潰して寝かせておく。
ワインづくりは農業の仕事そのものです。
私はいま会う人ごとに「千曲川ワインバレー」の実現がもたらす未来を熱く語っているのですが、この地域にワイナリーが集積することは、農業を中心とした新しいライフスタイルが多くの人の目に見えるかたちで定着し、それがこれからの日本人の暮らしのありかたを変えていくのではないか、と期待しているからです。
信じるか、信じないかはともかく、まず私の話を聞いてください。