はじめに
姜尚中
本と新聞といえば、業態としては斜陽産業の一つに数えられる。
若者の活字離れが進み、他方で少子高齢化とともに本や新聞の読者や購読者の減少に歯止めがかからなくなっている。市場経済だけの原理からすれば、出版と新聞は、淘汰されるべき衰退産業ということになってしまうかもしれない。しかし、その結果何が待ち構えていることになるのか。活字文化の衰滅か、知性の劣化か。
ハイブローな立場から、そうした国民文化の低級化を嘆く向きもあるに違いない。とはいえ、出版や新聞などの大衆化は、高級文化と低級文化の壁そのものを突き破る原動力だったはずだ。出版や新聞の大衆的な広がりは、国民大衆を総動員する戦争の社会的均質化の働きと無縁ではなかった。逆に言えば、出版と新聞は、そうした社会的均質化が進んだ土壌のなかで養分を吸いあげ、活況を呈してきたのである。
だが、いまや、一方で日本語という「国語」によって保護された新聞や出版は、グローバル化やデジタル化の波に洗われ、他方で限りなく微分化されていく情報化のなかで細分化された消費者のニーズに対応できなくなりつつある。
それでは本と出版は、ただ衰退に身を任せていくだけなのか。もしそうなれば、何よりも、反知性主義が横行し、民主主義はいたるところで瞬間風速的な情動に翻弄され、やがて文化の基盤そのものが崩落していくに違いない。
「本と新聞の大学」は、こうした危機をバネに出版と新聞のコラボによるオープン・カレッジを開設しようとするユニークな試みである。現代を代表する第一線の学者やジャーナリスト、知識人などが縦横無尽にその個性を発揮し、階層も職業も年齢も人生経験も違う、様々な受講生がみずからの思いを語る姿は、この大学にしか見られない感動的な光景であった。
「本と新聞の大学」は確実に第一歩を踏みだしたのである。