まえがき

 一九七八年の初春、高知の室戸岬に、魚を焼いているドイツ人の姿があった。口髭をはやした顔でやや受け口、眼光するどく、がっしりした体つきだが背はさほど高くない。くたびれたツイードのジャケットを着ている。五十歳くらいだろうか。流木を集め、火を熾して、魚をさばき串刺しにする手つきが、やけに手なれている。
 ひとしきり魚を堪能すると、波打ちぎわに腰をおろし、パイプをくわえ、太平洋をスケッチし始めた。かたわらでは巻き毛を浜風にまかせている背の高い女性が、静かにたたずんでいる。海を眺めている男のまなざしはいつしか、こころなしかやわらかくなっていた……。

 これを書いている私は、ドイツ文学を専門に、ギュンター・グラスをずっと追いかけてきた者である。ご興味のある方は、拙著『ギュンター・グラスの世界』(鳥影社)をご覧いただきたい。研究をはじめてから随分たって、そのグラスが今から三十年以上も前に私の故郷・高知を旅していたことを知った。縁としか思えなかった。再婚することになる女性を連れ、日曜市で土地の食材を物色したり、海岸で買ってきた魚を焼いたり、春の嵐に遭って立ち寄った漁師の家で昼食を御馳走になったりしている。この土地がけっこう気に入っていたみたいだ。
 版画の個展を東京で開催し、文学者たちとの交流といった公式行事をそそくさと済ませてから、まったくのプライベートで旅先に選んだのがこの高知だった。人がうようよいる所には辟易していたので、地図を広げて一番人口密度の低そうなところに白羽の矢を立てた。こうして彼は大阪から高知に飛んだのだ。五日間、桂浜に宿をとり、西から東まで海岸線を回っている。偶然とはいえ、結果的にまことにグラスらしい選択ではなかったか。少なくとも私には、そう思えた。その旅で描いていたスケッチ(おそらく桂浜で描いたもの)には、後に北ドイツ・リューベックのグラス記念館でお目にかかることになる。「日本の海」という題が付けられていた。
 開放的で型にとらわれずアクが強い。清濁あわせ呑むような現実感覚も備えている。彼がやっているのはひょっとして、純文学ならぬ、「不純」文学とでもいうものなのかもしれない。市民としての活動のために文学上の名声をダシに使うこともいとわない。出版社との印税交渉だって抜け目ない。本を売るための戦略も巧みだ。単に強欲なのか、それともマスメディアや消費社会への適応というものなのか、あるいは作家として生きるための擬態なのか。
 激動の時代にあって、同時代の作家というスタンスを貫いた。粘り強く、創作実践はたゆまず続けながら、市民としても自立していなくてはならない。それが現代では並大抵でないことは想像に難くないだろう。政治・社会問題が起こると性懲りもなく異議申し立てをし、そのあまりマスコミにたたかれるのも毎度のこと。メディア露出度がきわめて高いのは、自己顕示欲が強いためなのか、それともなんらかの義務感からなのか。「代弁者」という役回りを甘んじて受け入れているようだが、いずれにせよいつの時代でも「渦中にある」人だった。そうした作家にとって、この時の高知旅行は第二の新婚旅行であり、束の間の休息だったのではなかっただろうか。
 偶然とはいえ、こうした「出会い」ゆえに、私はグラスを日本で紹介したいとずっと思ってきた。またグラスの自伝的小説『玉ねぎの皮をむきながら』の翻訳をさせてもらったことも、こうした思いを後押しした。グラスが書いてきたもの、身をもって体験し行動してきたことは、現代世界を見る違った視点を提示してくれるにちがいない。なにより、危機の時代における文学のあり方を提示しえた作家の一人だと信じているからだ。

 おもちゃの太鼓を叩き、悪のビートに乗って登場したかと思えば、政治家まがいのことをやり始め、市民運動のデモの先頭に立ったりもする。一方で昼寝の枕にもならないレンガのようにかさばる長大な小説を書いて、物議をかもす。家庭では女性問題に悩む火宅の人であるかと思いきや、さにあらず、母親の違う子供たち同士はけっこう仲よくやっているようでもある。いくつもの顔を持っている。ひとくせもふたくせもありそうで、胡散臭い。いずれにせよ、盛りだくさんな作家、なんとも評伝家泣かせな人物だ。  本書は、そうしたギュンター・グラスという作家の評伝を試みようとするものである。
 グラスは従来、政治活動や社会活動を活発にしてきた作家とされ、日本ではそうした「批判的知識人」として取りあげられることが多かった。文学をうっちゃっておいて政治に首をつっこむ、文士の政治屋としばしば揶揄された。しかし、果たしてそうだろうか。むしろそれは逆なのではないか。そもそも「批判的知識人」などという、しかつめらしい肩書はグラスには似合わない。グラスの本質はやはり作家であり、その人生は文学の世界にある。政治・社会活動も他の芸術活動も、彼にとっては文学を生きるための延長線上にしかなかったのではないか。彼自身も、そうした文学が生きられるようになるということが、結果的に自由で民主的で、創造的な社会を築くことにつながると考えているはずだ。なんといっても、グラス文学の持ち味は、危機を生き抜いてゆく有無を言わせぬパワーにあるのだから。