一 ショウケースの片隅に

「この楽器」と私の関係は、少々やっかいだ。なにしろ私は、拙い音楽人生の最初から、その存在を知っていたようなのだ。
 その楽器は、ショウケースのうっすらと曇ったガラス越しに、若いころの私を見ていた。一九八三年の秋、私はまだ高校生だった。当時のことはすでに記憶が曖昧なところもあるが、少なくとも寝食も忘れ、始終ヴァイオリンを弾いていたことだけはたしかだ。
 私は中学生のとき、思いがけずクラシック音楽の道に進むことを薦められ、高校進学と同時に九州から単身上京した。故郷よりも早く日の短くなる晩秋の東京で、あるとき、稽古中にヴァイオリンの弦が切れた。それを買いに行くために、私は右も左もわからぬまま、ある有名楽器店に飛び込んでしまったのだ。
 店の扉を開けると、銘品らしさを醸し出す楽器の数々が並んでいた。そして奥には、音楽雑誌でしか見たことのないような、木漏れ日の降り注ぐ欧風の工房。ヴァイオリンの材料である白木の板と、よく研がれた道具が置かれていた。その雰囲気に、経験の浅い私でも、さすがにもっとうまくなってから来るべきお店だと尻込みをした。
 そのとき、奥のほうから、琥珀色のパイプがよく似合う、恰幅のよい紳士がゆっくりと歩いてきた。
「こんにちは。なにをお探しですか」
 その人が、クラシック専門誌の前月号で、ヴァイオリン店特集のインタヴューを受けていた人物だと一目でわかったので、私はますます動揺してしまった。木下弦楽器株式会社の代表取締役社長、木下多郎氏だった。おずおずとヴァイオリンの弦を注文してから、私が店内の飴色に輝く楽器に眼を泳がせていると、木下氏から一言「弾いてみませんか?」と声をかけられた。そして、背中を押されるように美しいヴァイオリンを手渡された。
 美酒に酔う、という表現の通り――大人になった今でも、自分が酒の味を本当に理解しているのか疑問だが――、良質の音に包まれて、私の心はすっかり酔っ払ってしまったようだった。高揚感と、体に直接入ってくる響き。それは、日々のレッスンとはまったくちがう、はじめて経験する「なにか」に満ちているような気がした。私は夢中になって、そのころ、自分が練習していた曲を弾いた。だがそこで、
「楽器を泡ぁ食って弾いちゃいけないよ。落ち着いてゆっくり鳴らさなきゃ」
 と木下氏にずばりと言われて目が覚めた。九州から出てきた私には少々きつい、江戸前な言葉の洗礼だった。
 木下家は、東京でも最初期にヴァイオリン作りを志した数少ない家柄だ。現在の多郎氏で三代目を継ぐ、東京人である。戦後の、物資と情報の乏しい時代をも乗り越えて、一家はヴァイオリンの製作技術を守り、受け継いできた。
 多郎氏は若き日にドイツに渡り、バイエルン州立ミッテンヴァルト・ヴァイオリン製作学校を卒業。楽器の生産で世界的に有名なイタリアの都市クレモナで開かれる、トリエンナーレ国際アントニオ・ストラディヴァリ・ヴァイオリン製作コンクールで日本のメーカーとしては初となる金賞を受賞するなど、ヨーロッパで活躍した。帰国後は、ドイツでの経験と、先代までに培った木下家独自の技術を融合させ、渋谷に店を開いた。私が偶然にもその店に迷い込んだのは、まだ氏が店を持たれて間もない時期だった。
 こののち、私は高校からの帰り道に店に立ち寄らせてもらっては、木下氏の機知に富んだ「ヴァイオリン千夜一夜物語」をねだった。それこそ、紙芝居に見入る子供のように、ワクワクしながら聞いたものだ。
 そのうち、私は東京藝術大学に進学し、専門をヴァイオリンからヴィオラに替えた。あっという間に月日は流れた。一九九八年、プロのヴィオラ奏者となっていた私は、仕事で長く滞在していたヨーロッパから帰国し、東京都台東区に小さな音楽事務所を設立して演奏活動を始めた。久しぶりに木下弦楽器を訪れようと足を向けると、渋谷の街は若者でにぎわい、すっかり様変わりしていた。だが、店の扉を開けると、あのころと変わらぬ光景が待っていた。
 二〇〇三年のある日も、店の扉を開けると、木下氏は親子連れの客――母親と男の子、たぶん小学校の低学年だろう――に、親切に細かく楽器の扱い方を説明しているところだった。
 私はぶらぶらと楽器などを眺めながら、氏の手が空くのを待った。やがて、母親が勘定を始めると、男の子が傍を離れてショウケースを覗き込んだ。私がはじめてこの店を訪れたときに見入ったのと同じ、古いショウケースだ。その光景に、私は思わず遠い昔の自分を重ねた。その刹那、男の子は無邪気に、「お母さん、こんなに小さなチェロがあるよ」と声を上げた。
 小さなチェロ。そんなものが、このショウケースに入っていたっけ。
 私はその子の肩越しに、かつて見慣れたはずのショウケースの中を見た。おや、この楽器はたしかに、昔からあったぞ。ヴァイオリンばかりにしか注意の向かなかったあのころの私には、この楽器が見えていなかったのかもしれない。
 ショウケースの少し曇ったガラスには、「その楽器」を覗き込む男の子と私の姿が、重なるように映っていた。