第1章 もうばあさんだから男はいらない

女56才、一人で砂漠に暮らす
 熱い風が頰をなでていく。
 さっきからひっきりなしに泉の水を飲んでいるのに、飲んだそばから蒸発してしまうかのように、喉がかわいてしかたがない。体がかわいたスポンジになったみたいだ。
 ゆらゆらとゆれる陽炎の向こう、100メートルほど離れた場所で、彼女はしきりに地面にある枯木を集めている。
 彼女の名はサイーダ。56才。ラクダ7頭をつれ、一人で砂漠を点々と移動しながら暮らしている。  なぜ疲れないのだろう。
 手伝わなければと思っても、体がいうことをきかない。木の下は、周囲の暑さがうそのように心地よく、毛布の上に横たわると、体から根が生えたように動けなくなってしまった。わずか4日の砂漠生活で、かなり疲れがたまっているようだ。
 つけっぱなしにしたラジオから、サウジアラビアの放送が流れている。ここはエジプトの紅海沿岸の町ハルガダ〔地図〕から車で2時間ほどの砂漠の中。紅海をはさんだ対岸はサウジアラビアだ。

 彼女は私のそばに戻って来て、拾い集めた枯木を地面に置くと、礼拝を始めた。
 イスラム教徒の彼女は、1日5回の礼拝を欠かさない。毎回ゆうに30分は祈っている。
 ラジオの放送はいつの間にか、ニュースからコーランの詠唱に変わっていた。
 空を眺め、なまあたたかな風に吹かれていると、このまま眠ってしまいそうだ。
 そういえば、砂漠に来てから一度も雲を見ていない。
 今日で、彼女との4泊5日の砂漠の生活が終わり、明日には町から迎えが来ることになっていた。どこまでも続く茶色い砂と岩山だけの風景をぼんやりと見つめながら、私はここに来るまでのことを思い出していた。

自分を変えるために海外へ
 私はひどく内気でおとなしい子どもだった。
 幼稚園では周りの子どもたちになじめず、毎日泣いて帰って来た。学校の休み時間には、友人と遊ぶより教室の隅で本を読んでいる方が好きだった。大学に入るまで友人はなく、電車の切符も自分で買えないほど行動力に欠けていた。
 そんな自分を変えたいと思った。
 それには、全く違う環境に身を置くことだと思った。手っ取り早いのは、海外に行くことだ。当時の私には、そんなことしか思いつかなかった。
 それまでに団体旅行でアメリカに行ったことがあった。こんどは大勢ではなく一人で、短期でなく、ある程度長く旅してみたいと思った。
 大学を休学し、インドネシアに行ったのは、たまたま取った授業で興味を持ったこともあるが、それまでの勉強一筋だった生き方を変えるためだった。
 特に計画や、もっともらしい目的があったわけでもない。言葉を少し習っただけで、知り合いのいない土地に一人で行き、どんな旅ができるのか、どこまで人の暮らしに溶け込めるのか、自分を試してみたかった。
 現地では、二言三言話しただけで、自宅に招いてくれる人がたくさんいた。こうして知らない民家に泊めてもらいながら、国中を旅した。
 そんなことのできる自分に驚いた。そして異国を歩く魅力にとりつかれた。
 その時たまたまカメラを持って行ったのが、写真や文章で表現する仕事がしたいと思うようになったきっかけだ。

 大学卒業後はマスコミへの就職を希望したが、生まれつきのろまな私は就職活動に出遅れ、受けた会社はことごとく不採用。全く違う業種の会社に就職する。だが、その後もあいかわらず、文や写真に関わることをやりたいと思い続け、会社を辞めようかどうしようかと、うつうつと思い悩む日々が続いた。
 結果的に3年で会社を辞め、海外に旅に出た。
 その頃興味があったのはフォトジャーナリストという仕事だった。問題は、何を取材していいかわからないということだった。海外に行けば、自分だけのテーマが見つかるのでは……。そんな安易な期待があった。

 タイから陸路で西へ向かい、世界一周をするつもりだった。しかし、旅はエジプトに行き着いたところで終わってしまう。
 ここに住みたい。着いた初日にそう思った。なぜなのか、言葉では上手く説明できない。旅はすでに8ヶ月目に入り、移動をやめて、どこか1ヶ所に落ち着きたいという気持ちがあったのかもしれない。  この国に、何か自分にしっくり来るようなものを感じていた。
 かといって、決して何もかもがすばらしい国ではない。むしろ全く逆だった。渋滞を避けるために車が歩道を走っていることもある。名もない遺跡がゴミ捨て場と化していたりする。アパートの窓から階下にゴミを投げ捨てる人もいる。
 一方で、こんな場面も目にする。老人が道を横切ろうとすると、どこからともなく若者が現れて手をひく。車イスの人が電車を降りようとすると、周囲からさっと人が集まって来る。バスの中で立っていると、女という理由だけで年上の男性が席をゆずってくれる。
 社会の秩序は乏しいが、それをおぎなって余りある人間的な温かさ。そんなものが社会の根底にある気がした。

 似たような状況は、エジプトにたどり着くまでに滞在したイランやシリアなどのイスラム諸国でも体験した。しばしば「お金を持っているか」と心配され、泊めてもらった家では「好きなだけいていいよ」と言われる……。
 日本では漠然と、中東、イスラム諸国イコール怖い国というイメージを抱いていたが、エジプトに行き着く頃には、それはことごとくくずれ去っていた。そしていつしかイスラムの国、イスラムというものに興味を持つようになっていた。
 この地域の人々の本当の姿を伝えたい。それには言葉を知らなければと思った。言葉が話せれば現地の人々の暮らしに入りやすい。これはインドネシアで体験した。エジプトに住んでみたいと思っていた私に、「アラビア語を学ぶ」という、格好の口実が見つかった。
 実際には、アラビア語の難しさに勉学は早々と挫折し、あとは知り合った人の家に上がり込んだり、写真を撮ったりして過ごし、ろくに言葉が上達しないまま、1年で帰国してしまったのだが……。
 帰国後もエジプトなどのイスラム諸国を何度も訪ねていたが、心の底から打ち込めるようなテーマには出会えなかった。そして気づけば、生活のためと称し、住宅雑誌、中高年向けの雑誌、ガイドブック……種々雑多な仕事で糊口をしのいでいた。書いて撮れる便利なライター兼カメラマンとして。
 そうこうしているうちに、独身のまま30代半ばに突入してしまった。
 独身生活は気楽である一方、心の中には、どこか満たされないすきま風が吹いていたと今ふりかえれば思う。それを「心の底から打ち込めるテーマ」で無理やり満たそうと思ったのかもしれない。
 このままでいいのか……そんな気持ちを抱きつつあった頃、ふと長い間、頭の片隅に眠っていた遊牧民のことを思い出した。