原爆詩との出会い

 吉永小百合さんが原爆詩と出会ったきっかけは、被爆者の団体の人たちから依頼を受けて、東京の小さな教会で初めて朗読したことだったという。
 彼女は、一九八一年からNHKで放送された「夢ゆめ千代日記」で、胎内被爆という重い運命を背負いながら、他者を受けとめる優しさと強さをもって一途に生きる芸者夢千代を演じていた。夢千代の姿に励まされた被爆者の人たちから、自分の経験を綴った手紙や、平和運動に関わる市民からの応援が、吉永さんのもとに届くようになった。そこから関わりが始まったことが、その後四半世紀も続くライフワーク、原爆詩朗読への第一歩となった。
 一九六六年、映画「愛と死の記録」出演のために初めて広島を訪れ、原爆病院で病魔と闘う被爆者の人たちと出会ったことは、終戦の年に生まれた彼女に大きな影響を与えずにはおかなかった。その一方で、映画の上映に際して、原爆に対するさまざまな政治的な圧力が在る現実を知るに及んで、もとより正義感の強い吉永さんは、原爆が依然として日本社会に投げかけている問題に真摯に向き合ったのだと思う。

CD「第二楽章」の誕生

 私が知る吉永さんは、ひじょうにしっかりと自分の考えをもつ人だ。一つひとつのことに丁寧に向き合い、真摯に考え、納得してものごとに取り組む姿勢に、感銘を受けたのは一度や二度のことではなかった。
 一九九七年に朗読のCD「第二楽章」(ビクターエンタテインメント)を制作するにあたって、六百編もの詩から自ら十二編に絞り込み、音楽にもこだわりながらの選曲、構成。すべて自身で納得のいくまで何度も紙に書き写す作業を繰り返しながら完成させたというだけでも、ふつうの人間には気の遠くなるような仕事だろう。
 長崎出身の作曲家大島ミチルさんが編曲を担った。そして、当時は高校生だったギタリスト村治佳織さんのギターは、激しさよりも、しなやかな伸びやかさが命の力を喚起する。敢えて原爆直近のアレグロではなく、アンダンテの「第二楽章」を奏でたいという吉永さんの思いに寄り添って、深い悲しみを優しさで包み込むCDが誕生した。
 優しさといえば、CDジャケットの男鹿和雄さん画による原爆ドームは、やわらかな色彩に包まれて、母が子を見守るようなまなざしを感じさせる。それまでとはまったく異なった広島の姿が、そこから立ち現れてきた。それは、命へのいとおしさ、生きることをいとおしむ人間の普遍的な思いそのものが、原爆という目を覆う悲劇の奥底に存在し続けていることを物語っている。