第一章 一条ゆかり
「わたしは〈一条ゆかり〉の奴隷だった」
マリー・アントワネットのような父と大家族
一九四九(昭和二四)年、私は岡山県玉野市という瀬戸内海に面したちっぽけな町で生まれました。玉野市は昔から三井造船の町で、祖父は造船内で〈藤本組〉という大きな組を持ち、仕事も遊びもガンガンの人だったそうです。二代目の私の父は遊びだけを受け継いだ道楽息子で、心配した祖父は、学校の先生でしっかり者と評判の母に目をつけたそうです。
母は海賊で有名な村上水軍の末裔で、実家は海運業をやっていた村上さん。ってことは私にも海賊の血が流れてるってことで、海賊の子孫かと思うと微妙だなあ。
父は会社に行ってただボーッとしているだけで、給料日には鞄にいっぱいの札束を持ち帰ってきたそうです。母いわく「一カ月分の給料で、大きな家が一軒建つくらいの金額」だそうな。今の金で二、三千万くらいじゃない? もっとか!?
生活費を母に渡して、その金持って四国やら大阪に遊びに行って戻ってこない。紀伊國屋文左衛門のごとくパーッと派手に金を撒いて、無くなったら家に帰ってきて、ボーッとしてると次の給料日……遊ぶことが仕事のような能無しのボンだったのです。
ところが、祖父が死んで、当然父には組を仕切る才覚も無く、戦争まで起きて、〈藤本組〉は潰れました。父は優しいし性格はいいのだけど、金も無いのに酒を飲み歩き、ツケは増えるわ、他人の借金の保証人になるわ、我が家は貧乏のどん底です。
母は師範学校をトップで卒業したのが自慢の人で、酒飲んで寝ている父の代わりに、個人宅を訪問しながら三味線とピアノを教え、子供六人合計八人家族の生活をなんとか一人で支えていましたが、たまにご飯が食えないスリルのある生活でした。
ある日、母が「お金が無い、どうしよう」と父に言ったら、父は普通に「金が無いなら、銀行に行けばいいだろ」と、言ったのよおお!! お前はマリー・アントワネットかっ!
ダメです、この男。七〜八歳だった私でも解る。呆れた私はその後、母にマジで聞いたことがある。「ねえお母さん、なんで離婚しないの? だってうちってお父さんいないほうがラクじゃん。酒飲んで借金増やして、二日酔いで毎日寝てるし」。母、無言。「ねえ、それでね、もし離婚するんだったら、私だけは絶対連れてってね!」。
殴られた……本当の事を言ったのに、殴られた。あとにも先にも、私が母に殴られたのはその一度きりでしたね。その当時私が抱いていた父の感想は「友達にするには最高の人だけど、夫にするには最低の男」。貧乏は人間のシビアさを育てます。
路面に描いたローセキ絵
私は姉二人、兄三人という六人兄妹の末っ子でしたが、姉たちとは一〇歳も歳が離れていたので、もはや〈お母さん〉のような感覚でした。貧乏だけど家族仲は良く、兄妹げんかもほとんど無かったし、特に二つ上の兄の“みっくん”とは一番仲が良かったです。
仕事と生活に追われていた母は、私が三歳になると保育園の三年保育に私をブチ込みました。最初の一年はみっくんに手を引かれて通い、二年目からは母のチャリに乗せられて朝投げ込まれ、夕方仕事帰りの母に回収されるの繰り返し。授業内容は一年も二年も同じで、簡単に言えば託児所ですね。それを二年もやったのに三年も同じ事をやれと言われてすっごいショックだった。だってもう幼稚園に通う年齢で、近所の子供はみんな黄色い帽子をかぶって幼稚園に通っているのよ! 私も黄色い帽子かぶりたい!
でも、幼稚園って保育園に比べると帰り時間が早いので、母としては困るわけよ。末っ子だし、そんな早い時間は誰も家に帰ってないし、かといって私を連れて仕事にも行けないしねえ。しかし私はもう保育園にはうんざりしていたので、暗ーく意固地になって登園拒否をし、家族の誰かが帰ってくるまで自宅の前の道路で一人、ローセキ(蝋石)で延々と絵を描いてました。小さい時の私って、かなりおとなしくて暗い子供だったのよ。
そしたらだんだんギャラリーが増えてきて、「じょうずー!」とか「お姫様描いてー」とかほめられるもんで、私も結構いい気になってきて、描いているうちにどんどん絵がうまくなってね。もうそうなったらガンガン技を磨きはじめて、いつでもどこでも絵を描いてるうちに、気がついたら〈漫画人生〉一直線です。
私の漫画人生のスタートは、〈ほめられた〉ということだと思う。父親はろくでなしだし、母は切羽詰ってるし、生活に余裕が無かったから誰も私をチヤホヤしてくれなかった。「かわいいね」とか「いい子だね」とか言われた記憶が無い。よく考えると、私は〈ほめられる〉という経験を持たない孤独な子供だったのです。
ところが、路面に絵を描いたら、みんながほめてくれる。すっかりいい気になって、そのうち紙に描くようになり、学校の友達にもほめられるから、さらにいい気になって、小学校五〜六年生になる時には〈将来の夢は漫画家!〉ですよ。当時は〈憧れ〉でしたが、中学生では「なろうかしら?」、高校では「よし。なろう!」と一直線に進み、高校生で本当に漫画家になっちゃいました。やり〜〜!