はじめに 国を滅ぼす「自爆スイッチ」
明石昇二郎

 想定外。
 原子力に携わる科学者や官僚が好んで使う言葉だが、科学的な裏づけや法的根拠のある言葉ではない。科学者や官僚が使えば「専門家や監督官庁としての敗北宣言」の意味合いを持つ。
 二〇一一年三月に発生した東京電力福島第一原発事故では、この言葉がまるで呪文か免罪符のごとく、事故を引き起こした責任者たちの口から盛んに語られた。
 原発事故が起ころうと、「想定外」と言えば何でも許されるのであれば、原子力安全・保安院職員や原子力安全委員会の委員など誰でも務まる。「想定外」だと嘯くことは、自らの存在理由まで否定してしまうことなのだ。
 すなわち「想定外」だったと認めることは、自分が無能であることを認めるのと大差ない。こうしたセリフを吐ける無責任で恥知らずな人々が、原発の「安全」を語りながら利権を享受してきた。そんな無責任の積み重ねの結果が、福島第一原発事故の発生だった。

 巨大地震によって発生する原発の過酷事故が招く災厄のことを「原発震災」という。命名者は、一九九七年よりいち早くこの危機を指摘していた石橋克彦・神戸大学名誉教授である。
 この「原発震災」の発生を想定せず、ありえないこととして目をつぶって「想定外」の話とし、対策を取ろうとしないことが、原発近隣に暮らす一般市民にどのような過酷な悲劇をもたらすのか。
 そのことを、二〇一一年三月一一日以前から想定できていれば、経済性を理由に原発の津波防護対策が見送られることなどありえなかった。地震と津波に晒されるような危険な場所に原発を集中立地させることもなかった。そして、原発近隣に暮らしてきた福島県民が「原発事故難民」と化すこともなかった。
 地震列島であり津波列島でもある日本列島の上に建つ原子力施設の存在は、日本の国を滅ぼしかねないほどの力を内包したリスクでしかない。事実上の「自爆スイッチ」と言ってもいいだろう。

 となれば、数多ある「想定外」をひとつひとつ解決・解消していくことは、すでに原発震災を経験してしまった二一世紀の日本に生きる私たちの責務である。だが、「想定外」が招く亡国の危機は、福島原発事故が発生してから一年以上が経過した現在に至っても解消されていない。
 そうした「想定外」の事態のひとつが、青森県六ヶ所村の「使用済み核燃料再処理工場」で発生する過酷事故である。
 もし、この再処理工場で事故が起きたら、日本や世界にどんな災厄をもたらし、周辺住民はどんな末路をたどることになるのか。
 そこで本書では、第一章で「再処理工場」そのものが抱えている危険性を小出裕章氏に解説していただく。第二章では小出氏と明石が、再処理工場の大事故が起きたら日本にどんな非常事態をもたらすのかをシミュレーションし、読者にその問題点がわかるよう、明石が検証結果をテキスト化した。
 続く第三章では、そうした非常事態をもたらす可能性のひとつとして、再処理工場の近傍を走る活断層の問題を渡辺満久氏に解説していただいた。
 日本列島全体が地震活動期に入った今、いち早くこの「自爆スイッチ」を無効にしなければ、日本に未来はなくなる。
 その「自爆スイッチ」をいち早く撤去するために、本書が最大限の力を発揮するよう、今はひたすら願うばかりである。