前書き

 午前零時四十一分。仕事机の上の電話のベルが鳴った。
 机の上に広げた資料が邪魔をして、すぐに受話器をとることができなかった。
 ベルは二回鳴って、そして切れた。
 誰からの電話だったのだろう。
 宵っ張りだった同世代の友人たちの多くは、早起きになった分だけ、最近はベッドに入る時間が早くなったようだから、よほどの急ぎの用事がない限り電話をしてくる時間ではない。たぶん間違い電話だろう。
 急いで卓上のパソコンの画面に並んだ文字の中に戻ろうとしたが、うまくいかない。
 二回鳴って切れてしまったベルの音だけが、奇妙に鮮やかに耳に残っている。
 最近わたしは、ふたりの近しいひとを見送った。辛く、無念な別れだった。
 そのひとりは元気な頃、だいたいこの時間にベルを鳴らしたものだった。
 やはり間違い電話だったのだ。さ、仕事に戻ろう。

 ……ことばって、何だと思う?
 けっしてことばにできない思いが、
 ここにあると指さすのが、ことばだ。……

 詩人・長田弘さんの「花を持って、会いにゆく」という詩の一節である。
 すべての感情や感覚を言葉にかえる必要はないし、できるはずもない。言葉にできない思いがあっていいのだ。そう深くうなずく手助けをしてくれたのが、前掲の三行だった。
 およそ七年の間、自宅で介護をしていた母を見送った後だった。
 いろいろなひとからさまざまな言葉を贈られた。どれもが母の死を悼み、わたしを気遣う言葉だった。ありがたかった。
 しかし、そのどれにも、わたしは言葉を返すことができなかった。ちょうどそんな時に、長田弘さんの「ことば」に出会えたのだった。
 最愛の妻が病の中にいる頃、詩人は「花を持って、会いにゆく」を書いた。そしてその詩を、わたしは母を見送って少したったある日に読んだ。

 ……春の日、あなたに会いにゆく。
 あなたは、なくなった人である。
 どこにもいない人である。……

   そんな言葉からはじまる比較的長い詩だった。
 その詩をわたしは朝に読み、仕事に出た。夜遅くに帰宅して、眠りに入る前にまたその詩を読んだ。
 そうだったのだ、「けっしてことばにできない思いが、ここにあると指さすのが、ことばだ」ったのだ。何もかも言葉にかえることはないのだ、と詩人の「ことば」が教えてくれた。教えられてわたしは、忘れていた深い呼吸の仕方を思い出せたような気がした。深く息を吐きだすと、ところかまわず嗚咽が漏れてきそうでこわかった頃のことである。

 この「花を持って、会いにゆく」に、新しく書き下ろした「人生は森のなかの一日」を加えた組詩に、グスタフ・クリムトの植物画をあわせた詩画集『詩ふたつ』をクレヨンハウスから刊行したのは、二〇一〇年の梅雨の季節だった。
 後書きで、詩人は次のように書いている。

 ……一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだ……

 ……亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだ……

 さらに、「心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根」である、とも。
 詩人はグスタフ・クリムトについても、次のように記している。

 わたしにとってのクリムトは、誰であるよりもまず、樹木と花々の、めぐりくる季節の、死と再生の画家です。

   クリムトを選んだのも、むろん詩人だった。

 この間に、東日本大震災が、福島第一原発の過酷事故があった。わたしたちはあの日から必死で、いままでとは違う生き方を、その思想と姿勢を模索し続けている。
 本書が、あなたにとって、再生に向けての小さな「生の球根」になってくれたら……。「めぐりくる季節の再生」のささやかな弾みになってくれたら……。そんな思いをこめて、書き進めることにした。この、このうえなく苛酷で非情な時代に。