はじめに
古代エジプトのファラオのなかでもっとも有名なファラオ、ツタンカーメン王。一九二二年一一月四日にイギリスの考古学者ハワード・カーターがほぼ未盗掘の状態でその墓を発見するまで、彼の存在はほとんど知られていなかった。燦然と輝く黄金のマスクとは対照的に王とその生涯は謎に包まれていた。古代の王名表からも名前が削除されていたのだ。
わずか一九歳でこの世を去った幻のファラオ、ツタンカーメン王は、その王墓の発見によって、三二〇〇年という時を超えて世界の超有名人となり、今日でも展覧会やテレビの特集などで世界中の人々を魅了し続けている。私自身もエジプト学を志すようになったきっかけは、幼い時のツタンカーメン王との出会いであり、慢性的に「ツタンカーメン王の呪い」にかかってしまっている。
ツタンカーメン王に関する書籍はこれまでも多数出版されているが、そのほとんどは王墓の発見と豪華な副葬品の内容、出生や死因の謎などのテーマが中心である。もちろん本書でも王墓発見までのいきさつと数々の人間ドラマを含めた発掘調査のエピソード、そして発掘調査の関係者が次々と亡くなった原因とされた「ツタンカーメン王の呪い」とその真相、ツタンカーメン王の出生や死因の謎についてもDNA鑑定などを駆使した最新の研究成果を踏まえて取り上げる。しかし、本書の主なねらいは、古代エジプト史の重要な転換期であるツタンカーメン王とその治世を、近年の研究動向と著者自身の研究成果を踏まえて捉え直すことである。
ツタンカーメン王は、ほぼ未盗掘の状態で発見された王墓によりあまりにも有名であるが、王自身の生涯とその時代については、長い間謎に包まれたままであった。ところが、二〇世紀の終わりになってツタンカーメン王の時代の建造物や重要人物の墓が発見されるようになり、新しい資料も蓄積され、ようやくツタンカーメン王とその時代を再構築する条件が整ってきた。私自身の研究も、こうした最近の動向を踏まえてツタンカーメン王の時代を捉え直したものであり、本書ではその成果の一部を紹介させていただいている。特にツタンカーメン王の即位前から即位にいたる歴史的状況、有力貴族の関係、死後の状況については推論も含まれるが、新しい解釈を示した。
王墓の発掘物語の面白さはもちろんであるが、古代エジプトの黄金時代である新王国時代第一八王朝の流れ、古代エジプトの最盛期を築いたツタンカーメン王の祖父、アメンヘテプ三世の治世、その息子で人類史において初めて一神教崇拝の宗教革命を断行したツタンカーメン王の父、アクエンアテン王(アメンヘテプ四世)の治世とその直後の混乱期、そして父が始めた一神教から、再び伝統的な多神教への復興を推し進めたツタンカーメン王の治世とその直後の時代の歴史の面白さを理解していただければ、本書の目的は達成されるであろう。
さて、本書の扱う時代は主に今から約三五〇〇年前のエジプト新王国時代第一八王朝(前一五五〇年〜一三〇五年頃)の時代である。古代エジプト史では、紀元前三〇〇〇年頃に統一国家が成立してからマケドニアのアレクサンドロス大王に征服される紀元前三三二年までを、第一王朝から第三一王朝に区分している。これは、紀元前三世紀のはじめ、『エジプト史』を記した神官マネトが決めたものであり、現代の研究者も基本的にこれを踏襲することにしている。ちなみに大ピラミッドの時代は紀元前二五〇〇年頃の第四王朝で、ツタンカーメン王の時代から一二五〇年ほど前の大昔だ。また、古代エジプト最後の女王クレオパトラの時代は、アレクサンドロス大王の遠征から約三〇〇年後で、ツタンカーメン王の時代の約一三〇〇年後である。
エジプトのファラオは、半神半人の聖なる王として崇められ、死後も王として生きると定められた人であった。その役割は、現世と来世での権力を授かり、神々への祭祀を執行し、敵国から国土を守り、エジプトの平和と秩序を維持することであった。そして、富を蓄え、豊かな資源を思いのままにした。ツタンカーメン王は、アクエンアテン王による一神教崇拝の革命から伝統的な多神教復興へ揺れ動いた激動の時代に生きた若きファラオであった。