まえがき
私たちは、あまりにも長い間、熱に浮かされたように「成長」を求め、死を忌み嫌い、生を謳歌し、資源を蕩尽することに夢中になっていたのかもしれません。しかし、繁栄の時も過ぎ去り、いつの間にか、貧困が大きな影を落とし、足もとには、隣人の幸福や力と比較して、自らの不運と無力に四六時中苛まされるような、パサパサとした潤いのない社会が広がっています。
私が、四年前に『悩む力』を書いたのは、そんな現実のただなかでも、卑屈にならず、絶望せず、悩み抜くことによって、自らの「生きる力」を取りもどして欲しいという一念からでした。
しかしその後、「三月一一日」の巨大な断層が出現しました。いまや、前作の『悩む力』で対峙した問題は、さらに顕在化しつつあります。何よりも深刻なのは、世界への信頼感と、人生の意味が、決定的に傷つけられたことです。その一方で、空虚感、孤独感、絶望感が蔓延するなか、相も変わらず「成長教」にすがりつこうとする懲りない人びとの姿も目につきます。
本当に、これでいいのでしょうか?
耐え難い苦しみや悲しみ、ひどい挫折、愛する人の死に遭遇した際の、絶望と慟哭――。私は、一年前のあの瞬間に、「悩む人」(ホモ・パティエンス)としての生を歩みはじめた人びとに想いを馳せながら、『続・悩む力』を書きつづりました。そのために、四年前よりも、さらに強い輝きを放っている、夏目漱石のテキストに再び挑んでみました。悩み抜いた末でなければ見いだすことのできない大切なものを、近代の本質――つまるところ「人間とは何か」を凝視した先人の言葉を通して、私自身がつかみ取りたかったのです。
予告的に述べるならば、本書は、漱石の思想に多大な影響を与えたアメリカの心理学者、ウィリアム・ジェイムズにならい「二度生まれ」のすすめといったものになるでしょう。本書を読めば、その確かな手がかりをつかめるはずです。