まえがき
 私たち現代の日本人は、一般にイギリスをどんな国と思っているだろう? 昔大国だったというヨーロッパの古い国。礼儀としきたり、伝統を重んじる保守的な国。紳士の国。イギリスあるいはイギリス人と聞くと、私たちはたいていこういう古色蒼然とした側面を思い浮かべることだろう。
 けれど、イギリスにはこれと異なる面もある。サッカー場の内外でフーリガンが暴れる国。ミニスカート発祥の地。そう言えば、パンクだって、アメリカが起源とはいえ、大きな社会現象にまでなったのはイギリスだった。こちらの例は伝統や保守主義とは正反対のイメージではないだろうか?
 実際イギリスには正反対の要素がいくつもある。先ほどの紳士とフーリガンの例もあれば、斜陽産業である重工業と自然環境を重んじるエコ産業の共存もある。そもそもイギリスの斜陽産業と呼ばれるものは、「世界の工場」と言われた時代に世界の先端を切っていた。当時の大型工場がそのまま残っているので、今では古くさくなってしまったのだ。
 よく考えてみれば、イギリスには世界初と言えるものが多い。先に挙げた重工業とかぎらなくても、産業革命そのものについて、イギリスが発祥の地であることは広く知られている。その産業革命の結果、資本主義も、大きく国全体の制度となったのはイギリスが最初だった。さらには、現代では世界の多くの国で議会制度が政治の中心をなしているが、この民主主義形態もイギリスから起こったものだ。このように、現代世界を支えている中心的な社会制度の多くはイギリスから始まった。
 他にも、蒸気機関車を利用した鉄道や、切手を貼る郵便制度を挙げることができる。後者については、一八四〇年に初めてイギリスで発行された切手は、便利さからすぐ世界中に広がった。けれど、現在に至るまで国名を記さない切手が使用されているのはイギリスだけである。世界初はスポーツの世界にもある。世界で今広く行われているスポーツの多くは、イギリスで始まった(ゴルフ、テニス、ピンポン)か、初めて統一的なルールが定められた(サッカー、ラグビー、ホッケー)。
 こんなふうに見てくると、イギリスは、私たちが真っ先に思い描く、伝統を重んじる保守的なイメージとは裏腹に、実は「新しがり屋」であることが分かる。
 私自身は、イギリスを古いと同時に新しい国と考えている。古くからある伝統を守りつつ、どんどん新奇なものを取り入れるのだ。矛盾する要素が数多く存在する国、それがイギリスである。矛盾の中には、過去のイギリスと現代のイギリスの間に事態が逆転して起こったものがある。前述の大型工場のように、先端的なものでも、そのまま残れば時代遅れになってしまうわけである(これはどこの国でも多少は起こる現象だろう)。
 また、価値観が変わったために、イギリス人の態度がほとんど一八〇度転換したこともある。一例を挙げると、動物いじめが人気の見世物だった昔と、動物愛護で知られる今。紳士とフーリガンの共存のように、矛盾が同じ時代の中にみられる場合もある。
 理由は様々であれ、イギリスは矛盾と不思議と謎に満ちた国である。それがイギリスの魅力の大きな一部となっている。
 今イギリスは政治的にも経済的にも決して世界の最強国ではないし、むしろ瀕死の老大国とさえ思う人々もいる。それなのに、日本人を含めて、世界中からイギリスを訪れる人が絶えないのはなぜだろう。
 イギリスは世界で初めて近代化を遂げた国であるばかりか、都市化も早かった。それでも、今日、ロンドンを含めて、イギリスの都市の多くにはある種の安らぎがある。人間くさいところが感じられるからだ。とくに日本人の目には生活のペースがゆったりしているように映る。まして、イギリス人自身が誇りに思い、憧れる田舎となると、萱葺き屋根の家屋が相当見られることをはじめとして、昔ながらのよさが失われていない。これが世界で最初の工業国家であり、近代国家であるとは信じがたいほどだ。
 矛盾と見え不思議に思えるものの中にも、分析したり歴史を振り返ってみたりすれば、簡単に説明のつくものも多い。同時に、どう見ても謎としか言えないものもある。そういうものを、イギリス人自身も不思議に思ったり、自慢したり、楽しんだりする。
 私はかなり年月をかけて、イギリスの様々な面を理解しようと努めてきたが、未だに分からないことが多い。この本では、私が理解しているつもりの事柄、あるいは不思議に思い続けている事柄をいくつか取り上げ、語ってみたい。その目的は、第一に、イギリスの不思議をイギリス人にならって自分自身が楽しむことにある。同時にそれが読者の皆様の楽しみにつながれば、これほどうれしいことはない。