一九〇八年に行われたロンドンオリンピックの公式報告書によると、大会の開催にかかった経費は一万五二一四ポンドだった。これは当時のレートで約一五万円に相当する。一九〇八年といえば、明治四一年。日露戦争が終結して三年、夏目漱石が『三四郎』を書いた年である。
 一方、収入の方はどうだったのかというと、寄付だけで一万五八五一ポンド(一六万円)が集まったため、これで経費をすべて賄うことができた。入場料収入も六〇〇七ポンド(六万円)あったのだが、これはそのまま黒字分となった。

 その四〇年後、第二次世界大戦が終結して三年が経過した一九四八年、二度目のロンドンオリンピックが行われた。敗戦国の日本、ドイツは招待されなかったが、五九カ国から四一〇四人が参加した。開催にかかった経費は七三万二二六八ポンド(七億三八一三万円)。オリンピックの開催経費は、一九〇八年の約四八倍に膨れ上がったわけだ。
 しかしこの大会では、経費も増えたが収入も同じくらい増えた。収入源になったのは入場料やプログラム販売。さらには選手の宿泊、食事、輸送も貴重な収入源だった。当時、これらはすべて有料で、各国の選手団はお金を払って選手村に泊まり、食事をし、移動のバスに乗っていたわけだ。大会の収入は合計七六万一六八八ポンド(七億六七七八万円)に達し、大会収支は二万九四二〇ポンド(二九六五万円)の黒字となった。

 そして二〇一二年、ロンドンで三度目のオリンピックが行われる。実行委員会は、会場の建設やインフラ整備を含む開催の総経費を、およそ九三億ポンド(約一兆二〇〇〇億円)と予測している。
 会場やそれにともなうインフラは大会が終わったあとも利用されるから、オリンピックのためだけの経費とは言い切れない。そういった、大会後も利用される建設物への経費を除いた純粋な運営経費だけに限っても、二〇一二年ロンドン大会は、二〇億ポンド(二五八〇億円)かかると予測されている。

 もちろん、それぞれの時代で貨幣価値は異なる。一九〇八年、一九四八年、二〇一二年の金額をそのまま比較しても意味がない。それぞれの時代の英国の卸売物価指数を見てみると、一九〇八年を一〇〇とした場合、一九四八年は二一九、(最新のデータで)二〇〇七年は二〇五九になる。ということは、一九〇八年の貨幣価値は、二〇〇七年の二〇・五九倍ということになる。つまり一九〇八年のロンドン大会にかかった経費一万五二一四ポンドは、現在では三一万三二五六ポンド(約四〇四〇万円)に相当することになる。
 この数字をもとに計算すると、二〇一二年ロンドン大会にかかる運営経費二〇億ポンドは、一九〇八年の大会にかかった経費の約六三八五倍ということになる。
 一〇四年の間に、オリンピックは六三八五倍も金のかかる巨大イベントになってしまったということだ。
 だが、こうした運営経費の膨張ぶりに比べ、オリンピックの規模自体は、そこまで大きくなっているわけではない。参加選手の人数は、一九〇八年ロンドン大会が二〇〇八人で、二〇〇八年北京大会が一万九四二人だから、約五倍である。行われた競技の種目数を見ても、一九〇八年の一一〇種目に対し、二〇〇八年は三〇二種目。これは三倍弱に過ぎない。一方で、運営経費だけが六三八五倍にもなっているのである。
 なぜ、オリンピックは、これほど金がかかるイベントになってしまったのだろうか。