【序】

 本書は、いまもこの日本列島に残る聖地をくまなく歩いてそれらが持つ意味を考えようとしたものです。タイトルは『日本の聖地ベスト100』としましたが、ただ聖地を順にリストアップして恣意的にランキング付けしたものではありません。一つずつ聖地を訪ねながら、さまざまな特徴を見つめ直し、それぞれの共通項をとりだして、聖地そのものにひそむ謎を解くことに主眼を置いたものです。もちろんここにあげたランキングは絶対的なものではありません。今後もみなさんと一緒に考えていきたいと思っています。いったい聖地とは何でしょうか? その最も古いかたちはどんなでしょうか? なぜ日本はこんなに聖地だらけなんでしょうか? ぜひ謎解きのストーリーを楽しんでください。同時にみなさんの旅のガイドにもなればと思っています。聖地を歩くといってもけっして禁欲的な目的ばかりではありません。聖地をめぐり、温泉に入り、おいしいものをいっぱい食べ歩く。それこそ生きる喜びというものです。さあ、みなさん一緒に旅に出ましょう。そして、これからのわれわれにいったい何が必要なのか一緒に考えてみたいと思っています。


【旅のはじめに】

1 誰もが神がいると思っているところに神はいない

 いまや聖地ブームというか、パワースポット、スピリチュアルの流行もあって、毎日のようにテレビや雑誌で日本中の聖地が取り上げられている。しかし、その多くは、伊勢神宮、明治神宮、出雲大社、宇佐八幡宮(神宮)、熊野大社など、すでによく知られた場所の紹介でしかない。それらは果たして本当に聖地なのだろうか?
 もちろん、答えはノーではないけれど、あくまでも人々が観光バスでやってきて、お参りを済ませてから温泉でごちそうに舌鼓をうつといった名所旧跡の類たぐいでしかない。そこにいつか神が降り立ったと言えるだろうか。いや、おそらくそうではないはず。いわゆる神社仏閣はこの日本列島に数え切れないほどあるけれど、そのどれもが本来の聖地とはいささか違った場所に位置しているというところに注目するべきであろう。伊勢神宮に元伊勢、宇佐八幡宮に元宇佐、長谷寺に瀧蔵、室生寺に龍穴があるように、どうやら聖地が現在の場所に決まるずっと前にはもっと別の場所が聖地として信仰の対象となっていたようである。
 では、本当の聖地を探すにはどうしたらいいのだろうか。本書では、聖地の諸特徴を一つずつ取り上げながら、聖地をめぐるさまざまな謎を解いていきたい。神道、仏教、修験道などが成立する以前の聖なる空間のありかたについて一緒に考えてみたいと思う。
 現在、日本中のお寺の数は約七万と言われており、一方われわれの家のそばにあるコンビニは約四万だ。つまり、お寺だけを取り上げてもコンビニの二倍近くあることになる。神社も公称八万といわれており、それが本当ならば、日本中が聖地だらけということになる。もちろんこの数字は公称であって、その実態ははるかに少ないと思われるが、明治以前にはたしかにそれ以上の数の神社仏閣が存在していた可能性もある。社殿のない神社、鎮守の森、修験道の行場など数え切れないほどの聖域(サンクチュアリー)が存在していたはずだからである。
 では、それらも含めて、聖地とはいったいいかなる場所を指すのか。