はじめに
一九九六年(平成八年)二月十二日、司馬遼太郎氏が急逝されたという報に接し、悲しむいとまもなく、故人ゆかりの産業経済新聞社からの依頼で、「鬱懐が基盤の『司馬文学』の広大な世界」という哀悼文を書いた(「産経新聞」二月十四日 朝刊)。
そして、四月一日から三日にかけて、NHK教育テレビが追悼特集「司馬遼太郎の遺産」を組み、三回にわたって全国に放映した時、その第一回「歴史からの視線─日本人は何ものか」に、第一部「歴史文学への視野」と題して、文芸評論家、尾崎秀樹氏とわたくしの二人が話し合った(その内容についての全文は、一九九八年〈平成十年〉、日本放送出版協会〈NHK出版〉刊行の『司馬遼太郎について─裸眼の思索者』、さらに、二〇〇六年〈平成十八年〉、それを文庫本にしたおなじ書名のNHKライブラリー〈202〉、この二冊にそれぞれ、収録されている)。
その対談で、わたくしは概略すると、つぎのように語っている。
最初の短編集『白い歓喜天』(凡凡社 昭和三十三年)を読んだ時、強烈な印象を受けました。
その中には、同人雑誌「近代説話」に掲載された「戈壁の匈奴」「兜率天の巡礼」、この二作以前に書かれた「ペルシャの幻術師」の三つの短編が収録されており、三作には、作者の西域への関心が表われていること、幻想的な作品であることに、私は魅せられたからです。
この三つの作品は、想像力のゆたかな人でなくては書けない幻想小説なので、司馬さんの真骨頂は想像力の飛翔にあると感じると同時に、「戈壁の匈奴」の、西域のオアシス国で中央アジアの辺境の国、西夏の民、「兜率天の巡礼」の秦氏の一族など、辺境の少数民族に対する司馬さんの関心と視点があることに気づき、歴史文学の視野のユニークさを痛感しました。
この発言を、こんにち、思い起こしてみると、わたくしが若いころ、はじめて、『白い歓喜天』に接した時に受けた印象は、現在でも変わっていないことがわかる。
この短編集を読んだあとで、密教の世界が投影されている「外法仏」「牛黄加持」の二作を読み、わたくしは、司馬の幻想小説のとりこになってしまった。
のちに、そのことを、晩年近い司馬遼太郎につたえると、
「神さまが私に、一生のうち、小説を一遍だけ書くならば、どんな作品か、とたずねたとすると、即座に、幻想小説と答えますよ」
これは、わたくしの心奥を突いた。
そこで、亡くなって五年目の二〇〇一年(平成十三年)、「ペルシャの幻術師」を表題作として、「戈壁の匈奴」「兜率天の巡礼」「下請忍者」「外法仏」「牛黄加持」「飛び加藤」「果心居士の幻術」の八篇の幻想小説を収録する『ペルシャの幻術師』(文春文庫)を編纂、発刊した。そのさいに、文庫解説も、わたくしが受け持ったものの、紙幅の関係上、十分に意をつくせなかったことを考え合わせて、いっそのこと、「梟の城」「妖怪」「大盗禅師」など長編幻想小説を加えて、『司馬遼太郎の幻想ロマン』というタイトルの本書を刊行しようと決意した。
この新書には、長編小説「空海の風景」、幻想小説「外法仏」「牛黄加持」や、その関連書などからの引用が少なくないのは、作品を通して、呪術宗教の密教を理解していただきたいからである。
歴史文学の第一人者といわれていた海音寺潮五郎と、幻想小説の作家、司馬遼太郎との関連も重要なことは、本書を読んでくだされば、わかってもらえる、とおもっている。