(一)内からの視点では世界は語れない
自分たちが生きる「世界」について語ることは、思いの外、難しいものです。
「なるほど、そういう世界だったのか」といった感想は、その世界から飛び出し、その世界を外からながめた時に、初めて生まれてくるものです。
外から見る視点を得て、人は初めて自分たちのいる世界を、もっと言えば自分自身のことを、語ることができるようになるのです。
しかし、それは言うほど簡単なことではありません。
幕末の日本を例にとりましょう。
江戸時代、あれほど高い文化を築き上げた日本人が、幕末になるまで、ついに日本という国家について語ることはありませんでした。語りたくても、語るすべを持たなかったのです。無理もありません。日本という国の全体を、誰も見たこともなければ考えたこともなかったからです。そもそも国家という概念そのものが、日本人には存在していませんでした。
そうした状況を打ち破ったのが黒船です。
実際には、十九世紀に入るとたびたび、日本の近海に外国船が出没するようになります(厳密には十八世紀半ばからロシア船が、また十八世紀末にはイギリスの探検隊がやってきている)。その頻度が高まり、ついにペリーの黒船で世の中が動き始めたということでしょう。
「太平の眠りを覚ます蒸気船」とうたわれたように、日本人は、黒船の出現によって目を覚まします。それまで見えていなかった世界が、これをきっかけに見えるようになってきます。黒船がもたらした「外からの視点」によって、自分たちが生きる世界の実像が、日本人の視界の中に、初めて入ってくるのです。日本中に国家を論じる志士たちが溢れ返るのは、それからです。
ある者は書物を通して、ある者は海外を知る者を通して、またある者は実際に海を渡って、海外の事情を知ります。
海外を知るということは、日本という国の本当の姿、実力を知るということです。軍艦や大砲といった軍事力はもちろんのこと、科学技術や経済の仕組みといったものが、欧米諸国のそれらと比べていかに時代遅れで貧弱なものであるかを、まざまざと知るのです。何よりも、幕藩体制という国のシステムの限界を知ります。彼らが新しい国づくりを目指すのはそれからです。
幕藩体制とは、幕府を維持するためのシステムであり、それは「内からの視点」でつくられていました。外国と直接接触し、「外からの視点」を得ていた西国の外様の藩の前にもろくも崩れていったのは、そのためだったといってもよいでしょう。
その結果、成し遂げられた歴史的な大変革が「明治維新」です。明治以降の「この国のかたち」は、こうして生まれました。
ひるがえって、現代はどうでしょう。
私たちは、どれほど私たちが生きる世界のことを知っているでしょうか。
あるいは、その世界に生きる我々自身のことを、どれほど考えたことがあるでしょうか。
現代という時代において「我々、あるいは人間とは何か」を問うことが、本書の目的です。それを問わずにいられない状況に、我々自身がいるからです。環境問題、資源・エネルギー問題、人口問題……。人類が直面している様々な問題は、基本的にすべて文明の問題であり、我々自身がつくり出した問題です。我々自身を問わずして、それらの問題の根本的な解決はあり得ません。
しかし、それをどのように問うべきか─。
それが一番の問題として、我々の前に横たわっています。誰もがその問い方が分からずに手をこまねいているというのが、現在の状況です。
なお本書では、我々を問うことと人間を問うことを区別しています。「我々を問う」ことは地球システムとの関係を考えることにウェイトがあり、人間圏という概念につながります。一方「人間を問う」とはホモ・サピエンスがなぜ人間圏をつくったのか、という問いに関係します。
さて、なぜ問い方が分からないのか。理由は、江戸時代の日本人と同じです。
我々自身が問題の内側にいるからこそ、我々は我々自身を問えないのです。
ならば、どうすればよいのか。
外に出るしかありません。外に出て、外からの視点で、現代という時代がどういう時代であり、我々はどういう世界に生きているのかを探ることが必要なのです。
現代人にとっての「世界」とは、もはや国家などではありません。文字通りの世界、すなわち地球全体です。したがって、「黒船の視点」にあたる外からの視点は、地球を俯瞰する視点に他なりません。具体的にいえば、「宇宙からの視点」です。