はじめに ——壊れゆく世界を生きぬくために
                      中野 剛志

「今、時代は大きな歴史的転換期にある」といった台詞がよく聞かれますが、実際にそのような事態になることは、めったにあるものではありません。しかし、二〇〇八年のリーマン・ショックに端を発した世界的経済危機は、間違いなく、そのような歴史的転換期だと言って差し支えないでしょう。
 今、世界が経験しているのは、単なる経済現象としての不景気にとどまらず、政治や社会あるいは文化そして思想などにまで及ぶ、複合的で全般的な危機だと私は思います。二〇〇八年、経済産業省に勤務していて、リーマン・ショックの混乱を体験した私は、この事態がただならぬものと感じざるを得ませんでした。それからというもの、この危機が何であり、世界をどう変えてしまうのか、それに対してどう対処すべきかを私なりに考えてきました。
 こういう世界的危機、あるいは歴史的転換期においては、それまで正しかったことが間違いで、これまで間違いだとされていたことが正しいといった現象が起きるものです。このようなときには、これまでの通俗観念にとらわれていては、問題を解決することができないどころか、致命的な判断ミスを犯すことになるのです。
 しかし、お堅い役所のなかにいて、目の前の定型的な事務を処理しながらでは、そのような思索を深めることはできません。そこで、二〇一〇年六月に京都大学大学院に身を移し、研究生活に入りました。そこで、このグローバル恐慌ともいうべき世界的危機の真相を明らかにし、我が国が進むべき道を探ろうと考えたのです。
 ただ、残念ながら、この問題はあまりに複雑かつ巨大であり、私一人の能力では、どう頑張っても扱い切れないものでした。しかももっと問題なことに、事態は予想以上に早いスピードで進んでいました。  その一つが、二〇一〇年秋からもちあがったTPP(環太平洋経済連携協定)への参加の問題です。経済界や多くの経済学者、あるいは大手新聞各紙は、このTPPへの参加を一斉に支持しました。私は、TPPへの参加は危機を解決するのではなく、その悪化を招くと確信し、反対論を展開しました。
 私が、TPP推進論に感じた最大の違和感は、それがリーマン・ショック以前に言われていた政策論と同じだという点に尽きます。政府やTPP推進論者は、グローバル化を肯定し、アジアなどの新興国の成長に期待して、外需主導の成長を目指そうとしており、そのためにはTPPへの参加が必要だと主張していました。
 しかし、こうした世界観や戦略は、二〇〇八年以前にも言われていたことです。つまり、TPP推進論は、歴史的な時代の大転換をまったく無視し、古い通俗観念にとらわれているのです。
 そこで、私は、『TPP亡国論』を著し、TPP参加反対の論陣を張りました。TPPに参加してしまったら、時代の変化に対応できず、取り返しがつかなくなると考えたからです。ですが、そんな言論活動をやっていたため、本来やるべき研究や思索を深めることがますますできなくなってしまいました。
 そうこうしているうちに、世界が壊れてきました。ヨーロッパはギリシャ危機に端を発して、EU(ヨーロッパ連合)成立以来最大の危機に直面しています。アメリカ経済は完全に行き詰まり、ウォール街で大規模なデモが発生しました。中国はバブルが遂に崩壊し始め、社会が不安定化し始めました。北アフリカなど、各地で政変や紛争が起き始めました。我が国は、東日本大震災に襲われるなか、政治は混迷の度合いを深めています。
 もはや、猶予はありません。そこで、私は、この現下の危機がいかなる意味をもつのかを明らかにし、世の中にはびこる固定観念を破壊するため、滋賀大学経済学部准教授の柴山桂太氏とともに、本書を出版することにしました。柴山氏とは、彼が大学院生で、私が社会人になったばかりの頃からの知り合いで、年齢だけでなく興味関心や問題意識もほぼ同じです。現下の危機についても、私たちは一緒に考え、語り合ってきました。本書は、その議論を記録したものです。
 本書のなかで、私たちは、おそらく、世間で言われていることとは大きく異なる議論を展開していくことになります。本書の議論に違和感を覚える方もおられるかもしれません。
 しかし、時代の転換期には、これまで異端とされてきた主張こそが正しいかもしれないのです。その点をご賢察のうえ、最後まで私たちの対談にお付き合いいただけますと幸いです。