はじめに
——なぜ、今「事実婚」なのか——

 今、日本では、若い男女の未婚率が急激に高まっている。
 その最大の理由は、若い男性の結婚願望が低くなっているからだろう。結果として、女性の未婚率も高くなってくる。
 では、なぜ若い男性が結婚したがらないか。その最大の理由は、彼らにとって今の日本の婚姻制度が「重すぎる」からである。
 好きな女性ができてデートを重ね、「いい子だな、一緒に暮らしたいな」と思っても、結婚となると、双方の“家”や親兄弟、親戚一同、勤務する会社まで巻き込んでの大騒動になってしまう。
 とくに地方では結婚は一大イベントで、まさに一生に一度の、人生を左右する出来事としてとりあげられる。
 そして、いったん結婚すると、たとえ愛が消滅してしまっても、容易に別れることができない。“家”が絡んでくるうえに、社会の目や世間体、経済的な問題などもあるからだ。
 また、現行の婚姻制度では、離婚には夫婦の合意を必要としているが、二人が同時にタイミングよく「嫌いになりました。別れましょう」となる可能性は限りなく低い。もちろん、幸せな結婚生活が続けばなんの問題もないが、どちらかが心変わりしないとはいいきれない。かくして、我慢、我慢の人生か、泥沼の離婚劇が待ち受けることになってくる。
 結婚によって経済的負担や社会的責任ばかりが大きくなるのではやりきれない、というのが彼らの本音なのである。

 女性にとっても、結婚によって姓が変わるのは大問題である。
 夫婦同姓の現行制度では、結婚の際に多くの場合、妻の側が夫の姓に変えることとなり、印鑑から保険証、さらにはパスポートまで、すべてを変更しなくてはならない。このような婚姻制度をとっているのは、世界中を見回しても日本くらいである。
 夫婦別姓にすると家族が崩壊するとか、不倫が増えるなどと馬鹿なことをいっている政治家がいるが、長いこと自分の姓で働き、社会的にもその姓で認知されてきた女性が、愛する人と結婚する代わりに自分の姓を捨てなくてはならない切なさ、不便さを、想像できないのだろうか。
 わたしの周りにも不満を訴える女性がたくさんいるし、「夫婦別姓でいられるなら、結婚も考える」という女性もいる。
 さらに、「嫁」という字は、女偏に家と書くが、これは「夫の家の女になる」という意味で、そんなのはまっぴらごめんだと思っている女性は多い。たとえ長男と結婚しても、年に一度会うか会わないかの夫の親や、見ず知らずの先祖が眠っている夫の実家のお墓には入りたくない、自分の両親とともに実家のお墓に入りたいという女性も増えている。
 これらが、彼女たちの本音である。

 このような男女の本音を見聞するにつれ、日本の婚姻制度が、現代の若者にとって重荷になってきているのではないか、と感じるようになったのである。
 そして、このままでは若い世代の結婚が進まないし、少子化にも歯止めがきかないと危惧するようになった。
 いい意味でもっと軽くて、より自由に、当事者である二人の話し合いで一緒に暮らし、子供を産み育てられる“結婚の形態”はないものか。現代の社会状況では、そうした形態へのニーズが高くなってきているのではないか——こう考えたのが、わたしが「事実婚」に着目したきっかけであり、本書にまとめた理由である。