序 章
今回の東日本大震災、福島第一原発の事故で、私は「2・26事件」のある青年将校のことを思い出した。それはこういうことだ。
私は35年ほど前に『証言・昭和維新運動』(島津書房)という本を出した。戦前のいわゆる昭和維新運動を闘った人々がまだ生きている時代だった。今のうちに証言を取っておかなくてはと思い、話を聞いてまわった。老壮会、三月事件、血盟団事件、5・15事件、神兵隊事件、士官学校事件、そして2・26事件の関係者を探し出し、話を聞いた。
その中で、2・26事件に関係して逮捕され、禁錮刑、免官に処せられた末松太平氏の話が特に印象に残った。末松氏には『私の昭和史』(みすず書房)という名著があり、三島由紀夫も絶賛していた。末松氏は会うなりこう言った。
「民族派なんて自分で自分にレッテルを貼るのは早いと思うんだな」「人間のレッテルだって、これは死ぬ時に貼ればそれでいいんじゃないですか。戒名がわりに他人が『民族派の墓』と書けばいいんですよ。チョウチョやトンボは昆虫といわれるでしょう。しかしそれらが動物学者に昆虫と分類される前と後とで何か変化が起きましたか? 起きてないでしょう。当のチョウチョやトンボは、自分が昆虫だなんて知らないで飛んでますよ。だから、自分で自分にレッテルを貼って、わざわざ自分を局限する必要はないですよ」
煙に巻かれっぱなしだった。話は面白いが、何かからかわれている感じがした。今思い返してみるとそのとおりなのだが、当時は戸惑った。それでも聞いてみた。「これから民族派の、いえ、我々の維新運動はどうすればいいんでしょうか。教えてください」と。末松氏は即座にこう答えてくれた。
「維新運動は公害撲滅運動一本にしぼっていいと思っていますよ。僕がいま昔の状態の青年将校だったら、それで維新の運動をやりますね」
時代は70年代。60年代から始まった高度経済成長の歪みが公害という形で日本各地で問題になっているころだった。末松氏はその理由をこう語った。
「それに、『天壌無窮』すなわち『日本の国は天壌と共にきわまりなし』というのが、愛国者の合言葉でしょう。天壌と共にという条件あっての国体なんですよ。その天壌が今やおかしくなってる。天はスモッグで汚れているし『青雲の志』といって、青い空をながめて青年は志をいだいていたのがそれもなくなった。『山紫水明』もないでしょう。山はよごれてるし、水はきたない。日本を愛し、国体のことを考えるのにも、天壌が立派で美しくなくちゃダメでしょう」
「そしたら一番当面するのは公害の問題ですよ。二・二六の時だって、蹶起趣意書に公害問題を一項目、入れればよかったと今では思いますよ。足尾銅山の問題なんかすでにあったんだし、それに関心がないわけじゃなかったのだからね。今の愛国者はもっと、公害問題をとり上げて闘うべきですよ。天壌がおかしくなっては、皇運を扶翼すべしと言われたって扶翼すべきものの条件がなくなってしまうじゃないですか。悪どい資本家のために体がきかなくなって寝たきりになってる人を救け、日本の美しい自然、天壌を守るのに、右翼も左翼もありませんよ」
当時は、「天壌無窮(天地とともに永遠に続くこと)」「皇運を扶翼すべし(天皇家の繁栄を守れ)」と言われても、古いなと思った。そんな言葉は死語だな、と思っていた。民族派を自任し、新しい維新運動をやろうという意気に燃えていたから、その決意に水をかけられたような気がして末松氏に反発した。
しかし、35年経って考えてみると、末松氏の方が正しかった。天皇陛下がおられてよかった。そして、天皇陛下のおられる日本を守る。日本の美しい自然を守らなくてはならないと痛感した。今なら、末松氏は「原発やめろ!」と言うだろう。美しい自然が汚れ、人も住めないように破壊された姿を見て、「日本を守れ!」と叱咤するに違いない。