「虫博士」から「気になる子ども」へ
あるとき、私が子どもの発達相談を受け
るために巡回訪問をしている保育所の園長先生から、こんな相談を受けました。
うちの保育所に、虫のことなら何でも知っているつばさ君(仮名)という四歳半の男の子がいます。彼は周囲の子どもたちから「虫博士」と呼ばれ、その知識の多さに保育士も一目置く存在でした。
ところが、ある発達障害をテーマにした講演会に参加して、障害をもった子どもの特徴を聞いた保育士たちが、こんなことを言い始めたのです。
「もしかすると、つばさ君はアスペルガー症候群ではないだろうか」
あんなに夢中になって虫を追いかけるのは変ではないか、一種の「こだわり」かもしれないと、むしろ「虫博士」と呼ばれていたことが問題になりました。それだけでなく、つばさ君が数字に強いことや、他人の話を聞いていないように見えることにも注目が集まっていきました。日常の保育をするうえでは何の問題もないのですが、きちんと診ていただいたほうがよいのでしょうか。
アスペルガー症候群は発達障害の一つで、興味や喜びの範囲が狭く、一つまたは複数の限定された興味に熱中する特性があるといわれます。加えて、人の表情や感情表現を読み取ることが苦手であるために、他者との社会的関係が結びにくく、対人コミュニケーション障害があるとされます。
園長先生は、日常の保育をするうえでは問題がないことを補足しながらも、アスペルガー症候群の特徴である「こだわり」や「情緒的結びつきの欠如」といわれるものが、一体どの程度のものを指すのか判断しかねる、と困惑した様子でした。
この話を聞いていて、私はふと、「なぜ今まで『虫博士』と呼ばれ、周囲から尊敬を集めていたつばさ君に対する見方が、いとも簡単に変わってしまったのだろうか」と疑問に思いました。そこで、その疑問を園長先生に素直にぶつけてみることにしました。
すると、こんな答えが返ってきたのです。
「でもね、先生。これだけ発達障害の問題に関心が集まると、子どもの様子を発達障害の特徴に当てはめて見てしまうこともあるんじゃないですか。それに、もし性格や個性ではなく障害の問題なら早く見つけてあげたほうがいいようなのです。最近では早期発見・早期支援の考えも受け入れざるを得ないと感じます。
ただ、昔だってこんな子どもはいて、ちょっと変わっているけれど結構面白いところもあって、普通に生活をしていましたよね」
私は園長先生の「受け入れざるを得ない」という言葉が心にひっかかりました。本意ではないけれども、発達障害の対応には敏感にならざるを得ないということでしょうか。このように最近、親や保育士、教師、保健師などから、発達障害に関する相談を受けることが多くなりました。
これって障害?
私が発達相談を受けていて、よく耳にするのが「ちょっと気になる子ども」という言葉です。いつしか拡がり始めたこの言葉は、身辺自立の不十分さに加え、保育所、幼稚園、学校、学童保育など、集団生活で不適応行動を起こしがちな子どもを表現するときに用いられます。そしてこの言葉を使うとき、子どものささいな行動を「問題行動」や「不適切な行動」と捉とらえ、発達障害の「症状」と結びつけようとする大人の意図が感じられます。
というのも、私の勤める大学に育児相談に来た親から、「子どもが風邪かぜをひいたので小児科を受診したら、子どもが泣いてばかりいて言うことを聞かなかったので、先生がコンピュータで発達障害の診断の手引きをダウンロードして、いくつか質問のやりとりをしたあと、『このお子さんは注意欠陥多動性障害(ADHD)だと思う。メチルフェニデートを服用したほうがいい』と言われて処方をされた」と聞かされたケースがあったからです。
また、保健所の一歳半健診で「人と目を合わせない」という理由で「自閉症だと思うから専門医のところに行くよう」に勧められ、受診をすると医師は問診だけで言語聴覚士による言語治療を決めた、というケースもありました。
もっと驚いたのは、来日間もない二歳の外国人の女の子が、保健師と保育士に付き添われて私のところにやってきたことでした。相談の内容は、
「この子は保育所に入園以来ほとんど会話がなく、人と接するのを怖がって誰とも目を合わそうとしません。うまく人間関係が築けないのは、発達障害だからでしょうか。家庭環境も複雑で、食事もきちんと摂っておらず、安定した生活を送っていないようです」
というものでした。保健師さんと保育士さんは、女児の生活環境が不安定であることよりも、発達障害の可能性をしきりに訴えていました。
しかし、日本語を話せない外国人の子どもが突然日本に来て、知り合いもいないなかですぐに周囲の人たちと打ち解けるのは困難です。うまく会話ができないのは、日本語が話せないからであり、人と接するのを怖がっているのは、家庭環境の複雑さや日本での暮らしに不慣れなためと考えるのが妥当でしょう。だとすれば、この女の子に必要なのは、発達障害を疑うことではなく、安心して生活できる環境を整えることになります。
最近では、保育士や学校の担任から専門の医療機関を受診して確定診断をもらうよう促されるケースも増えてきています。こうした安易な診断や治療の拡がりからは子育てや教育現場の混乱ぶりがうかがえ、目先の対応に追われて障害の診断名をつけることへの重みが私たち大人の間で薄れている証あかしかもしれない、と思うのです。