まえがき――「錯覚の世界」から目醒めるために

 私たちが現実と思っているこの世界は、心がつくりだす「錯覚の世界」に過ぎない。
 仏教ではそう語っています。
 ですが、皆の錯覚はほとんど似ているので、錯覚ではなく現実そのものではないかと、私たちはさらに錯覚します。
 人がバラの花をきれいだと感じたら、皆、それはそうだと同感してしまうのです。
 しかし、それは「バラ=きれいな花」という世間のイメージがあるからで、かりにそれが「バラ=不吉で品のない花」というイメージであれば、バラの花を見て「ああ、きれいだな〜」と感動する人はあまりいないでしょう。
 その人の主観的な感覚を措いて、ありのままの事実はどうなっているのかに気づくことは難しいのです。そして、それは私たちが錯覚を共有していることで起こる問題なのです。

 人の生きることの悩み、不安、迷いのすべては、この世を錯覚して見るから起こるものです。
 錯覚から目醒めるというのは、悩み苦しみから解放されることです。
 悩み、不安、迷いなどが一切消えることです。
 しかし、私たちの強固な錯覚は一日にして消えるものではありません。
 それでも大きな問題は、皆、同じ錯覚に陥っているから、抜け出してみようという気持ちも起こさないことです。
 ついつい、皆と同じことを考えてしまいます。あなたの意見は何でしょうかと訊かれたら、周りの人々の顔色をうかがって、皆の意見に賛成してしまいます。皆が言っているから、というフレーズは我々の逃げの言葉です。身の安全をはかってこのような生き方をします。自分で調べようとすること、自分で発見してみることは、まずしないのです。ですから、錯覚から抜けだすことはとても難しい作業になっています。
 これは人間の弱みです。この弱みを無くして、真理を発見する方法として、仏教は「ありのままに見る」という方法を教えます。
 仏教が語る「ありのままに見る」世界もそれと同じで、一般的な人々にとっては理解しがたい、難しい話だと感じられてしまうのです。