茂木 猊下のユーモアのセンスと豊かな知性に大変感銘を受けました。私は脳科学者で、人間の脳について研究していますが、今日は猊下から人間の幸せについても、是非お話を伺いたいと思っています。
 猊下がおっしゃった通り、日本は多くの混乱や戦争、文明化の時期を過ごしてきました。もちろんチベットでも、混乱や騒動、政治問題、拷問など、人々は多くの困難を乗り越えてきましたが、このような試練の数々は、世界のあちこちで見受けられる状況だと思います。そこで、幸せになるための条件、方程式というものはあるのでしょうか?私たちはどうすれば幸福になれるのでしょう?
法王 幸せの体験も、苦しみの体験も、どちらも精神的なレベルの体験であり、私たちの心の一部になっています。そして、幸せと苦しみには、それぞれ二つの種類があるのです。
 その一つは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五感の働きを通してもたらされる感覚的なレベルの幸せと苦しみです。美しいものを見たり、快い音楽や歌を聴いたり、やさしい言葉をかけてもらったりすることによって得られる満足感と、醜いものや嫌なものに出合ったりして感じる不快感のことであり、この種の幸せと苦しみは、目や耳などの五つの感覚器官を通してもたらされる情報に完璧に依存しています。
 もう一つの種類の幸せと苦しみは、今述べたような感覚的な体験を通してではなく、純粋に精神的なレベルの意識作用によってもたらされる幸せと苦しみであり、私たち人間にとって、この種の幸せと苦しみのほうがより大きな影響力を持っています。
 なぜかと言うと、たとえ肉体的に快適な環境設備が整っていて、美しいものを見たり、素晴らしい音楽を聴いたり、高価な装飾品もあって、すべてが整っている生活をしていたとしても、人は精神的に不幸だということがありえるからです。そして、そういった精神的な不幸は、肉体的な快適さによって乗り越えることはできません。
 しかし、肉体的な苦しみは、精神的なレベルの満足感によって乗り越えることができます。ですから、精神的なレベルの体験は、肉体的なレベルの体験よりもはるかに大きな影響力があり、私たち人間にとっては大変重要なものとなっているのです。
 もちろん、感覚的なレベルにおいて生じる痛み、暴力、貧富の差、搾取、堕落、不正などによる苦しみは、大変つらい体験ですが、それをつらいと知りながらも、知性を働かせて乗り越える努力をすると、たとえその苦しみを取り除くことができなくても、それを軽減していくことができます。
 つまり、人間は個人的な感情をコントロールすることによって、心の平穏を維持していくことができる、ということなのです。