はじめに 電力を「私益」から解き放つために
「領海の外に公海がある」と歴史学者の網野善彦は喝破した。つまり、国家の支配する領土や領海の外に公(パブリック)が存在するのであり、国家イコール公ではないということである。
国家をそのままパブリックなものと見る誤った風潮が強いこの国では、国家はすなわち公ならずという指摘は、どんなに強調しても強調しすぎることはないだろう。
よく官僚をめざす人間が、民間の私企業は利益第一だから、と自明のように言う。しかし、公益を考えて官僚となり、そのまま、その志を持ちつづける官僚が何人いるか。
私は、現代の官僚には自殺する官僚と腐敗する官僚しかいない、と書いたことがある。もちろん極論だが、たとえば水俣病の患者への補償の問題で板ばさみとなり自殺した、環境庁(当時)企画調整局長の山内豊徳のような官僚はほとんど一割にも満たない存在であり、「ノーパンしゃぶしゃぶ」等のスキャンダルにまみれた大蔵(現財務)官僚のような腐敗官僚が多くを占める。
私はそれで、彼らを役人と呼ばず、厄人と蔑称する。たぶん、その中間でたいていの官僚は悩んでいるのだろう。
ただ、官僚たちの実態を見る限り、民間企業よりは官庁、つまり役所のほうが公益を考えているとは思えないということである。
いずれにせよ、いわば公益競争をしているのであり、最初から、公益は国家、民間は私益と一方的に軍配をあげるわけにはいかない。
それを前提として、電力対国家というテーマを考える時、歴史的にスパッと割り切れない幾つかの難問が浮上する。
私は第一章の表題を「国家管理という悪夢」としたが、かつて戦争を遂行するために軍部といわゆる革新官僚が手を結んで、電力の国家管理(電力国管)を強行したことがあった。電力が民間企業では戦争のための統制がやりにくかったからである。これはナチスドイツの「動力経済法」をマネしたものだったが、ほぼ同時に成立した国家総動員法によって、当時の大日本帝国は電力の消費規制を実施する。
言うまでもなく、当時は「お国のため」の戦争が最優先だった。民間の消費は削減され、企業活動に要する電力は統制された。
国家益に対する民間益というものがあるとするなら、電力国管は明らかに、国益ならぬ軍益のために、民益を大幅にカットしていったのである。
これに徹底的に反対したのが「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門だった。福沢諭吉門下の松永は、官僚支配を極端に嫌い、「官吏は人間のクズである」と言い放った。在野に生きた松永は、官に対する民の伸長こそがこの国の発展に不可欠だと信じていた。松永が福沢から受け継いだのは独立自尊の精神であり、「天は人の上に人を造らず」の平等の教えである。そこから松永の強烈な反官僚意識も出てくる。
その昔『人間福沢諭吉』(実業之日本社)の中で、松永は、大きな意地に生きる人間を大人物といい、小さな意地にとらわれる人間を小人物というと規定した。大人物は常に大きく意地を通し、小人物はいつでもつまらぬ意地に躍起になるというのである。そして、「大意地、大人物論」から見ても、福沢は大物中の大物であったとする。
「電力対国家」の歴史を振り返れば、まさに松永は大きな意地を生きた大人物だった。電力国管を強行した革新官僚の奥村喜和男は小さな意地を通した小人物であり、いまはほとんど忘れられた存在となっている。
本書は「松永安左エ門伝」と言えるほど、松永の闘いに頁を割いたが、松永は損を覚悟で意地を通す人物だった。
生きているうちこそ鬼と云われても
仏となりてのちに返さん
常にこううそぶいていたという松永は、戦後に日本社会党委員長となった鈴木茂三郎が戦時中に潜行していた時に援助したり、中国共産党の郭沫若が日本亡命中に生活できるようにとりはからったり、インド独立運動の志士、チャンドラ・ボースに救いの手を差しのべたりもしている。
時代が違うとはいえ、いま、そんなことのできそうな経営者、財界人はいない。電力の自由化はもちろん進めなければならないが、松永安左エ門やその弟子の木川田一隆のような骨のある経営者がいない状態で、それを進めたらどうなるかも考えなければならないだろう。