まえがき

 文芸や音楽や美術作品を創作した人、創作者には「著作権」と呼ばれる権利が与えられていることは、よく知られています。しかし、著作権は、作家や音楽家でない限りは、自分にはまったく関係がないと思っている人も少なくありません。著作権は著名な作家や売れっ子音楽家のみに与えられた権利なのでしょうか。
 いいえ、そんなことはありません。著作権は作品を作った時に発生し、作者は「著作者」となります。そして、作品とは、長編小説や流行歌だけではなく、あなたが話したスピーチ、携帯で送ったメールも、独自の創作性があれば著作物となるのです。なるほど、自分も知らないうちに著作者だったのか、自分にも権利があるのだから、少しはこの権利について知るべきかもしれないと思った方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし、今さら法律を勉強するというのは敷居が高いというのもごもっともです。そのような方々には、ぜひ本書の前半部分を読んでいただきたいと思っています。
 本書では、タイトル通り、「著作権」と「追及権」をテーマにしています。前半の「著作権」部分には著作権の基本的な考え方について書いてあります。私はこれまで非常勤講師として、中央学院大学法学部、桜美林大学総合文化学群、名古屋商科大学経済学部で、それまで知的財産権について勉強したことのない、おおむね【二〇歳/はたち】の学生たちに、著作権法とは何かを教えてきました。これらの経験をもとに、さらに【噛/か】み砕いた形で著作権とはどのような権利であるかについて説明してあります。前半部分で著作権法の基本的なことがらをおおまかに理解していただいたうえで、後半の追及権についての内容を読み進めていただくという二段階の構成になっています。
 しかし、もちろん、著作権の部分だけ読んでいただいてもかまいません。また、すでに著作権についてある程度の知識を持っていらっしゃる方であれば、第四章から読み始めていただいてもまったく問題ありません。
 さて、まえがきの段階ではありますが、なぜ「追及権」が必要なのかという点について少し説明しておきたいと思います。文芸と音楽と美術には、それぞれに独自の性質があります。小説や音楽のように出来上がった作品が複製されて皆さんの手に渡るという形をとる著作物と、美術のように一点だけが制作されてその作品が販売されるという形をとる著作物とでは、著作者の収入を得る方法に違いがあるということです。このように、性質の異なるものの作者すべてを一つの法律で保護することができるのでしょうか。  私は、美術の著作者、いわゆる芸術家が、日本の現行の著作権法では十分に保護されていないのではないかと考えています。本書で述べたいのは、現在の著作権法で認められた権利に加えて、これから説明していく追及権があれば、もっと多くの美術の著作者が守られるのではないかということなのです。そこで、芸術家の暮らしや周囲で起きた具体的な事例を挙げながら、「美術作品を創作する芸術家はなぜ貧しいのか」「その貧しさを打破するためには、追及権のような新しい権利を考える必要があるのではないか」という点について検討していきたいと思っています。
 先に、これから法律を勉強するのは敷居が高いが、著作権に少し興味があるという方に、前半部分をぜひ読んでいただきたいと申し上げました。後半部分ももちろん読んでいただけるとうれしいのですが、後半部分については、特に読んでいただきたい方たちがいます。それは、これから芸術家を目指そうという若者たちです。若者といっても、もちろん、年齢ではありません。六〇歳でも、八〇歳でも、一〇〇歳であっても、これから芸術家を目指そうという人々は、皆、青雲の志を抱く若者です。そして芸術家志望の方たちに読んでいただきたい最大の理由は、追及権がまさしく芸術家を目指す読者の皆さん自身のためのものだからです。
 ここで、本書における「芸術家」とはどういう人を指すかを定義しておきたいと思います。日本語の「アーティスト」には美術のみならず、音楽の創作者(作曲者、作詞家)や音楽の実演家(演奏家や歌手)も含まれています。しかし、英語でartistは美術の創作者を指し、小説などの文芸の創作者はauthor、作曲家はcomposerです。本書では、絵画、彫刻、デッサンなどの伝統的な美術作品の著作者を指して「芸術家」と呼ぶことにします。そして、文芸や音楽も含んだ芸術家という意味合いの時には、「広義の芸術家」という表現を使いたいと思います。
 なお、本書においては、著作権の専門家や法学部出身者にとっては普通の表現であっても、一般の方たちにとっては理解しにくい「教科書的」な表現を極力避けました。また、正確さを期する目的で、著作権法の該当条文を文中に登場させていますが、条文の意味をそのつど次の文章で説明していますので、基本的には条文そのものは飛ばして読んでいただいても差し支えありません。
 本書を読んで、もっと著作権について知りたいと思っていただけた方が、他の著作権法に関する書籍も手に取っていただき、楽しい著作権の世界の住人となっていただけたら幸いです。