本書のテーマは、知っているつもりの「新選組の常識」の検証です。
新選組といって目に浮かぶのは、ダンダラ羽織と呼ばれる隊服を身にまとい、「誠」の一字を染め抜いた隊旗を押し立て、都大路を闊歩する姿です。
では、隊服がどのような経緯から作製されたのか、どのようなデザインだったのか、実際に池田屋事件のさいに着用していたのか、着用していなかったのか、そして、いつまで用いられていたのでしょうか。
隊旗のデザインについては、赤地に白く「誠」の文字とダンダラ模様が染め抜かれたものというイメージがありますが、当時の人々が目撃し、見たままを絵に描き、文章で表現した記録があります。それらはどのような隊旗だったのでしょうか。
また、新選組のバックボーンともいうべき隊規がありました。これは五カ条からなる「局中法度」として知られており、ドラマ等で隊士が切腹を申し渡される場面としてもよく描かれています。
しかし、その隊規の実体はどのようなものだったのでしょうか。本当に全員が切腹させられたのでしょうか。切腹以外の罰はなかったのでしょうか。
隊規は新選組を脱することを禁止していましたが、脱隊者は後を絶ちませんでした。現実に多くの隊士が脱隊しています。しかし、京都を離れて地方に逃れた脱隊者を、新選組はどのように追ったというのでしょうか。逃走先もわからない脱隊者を追うことなど、可能だったのでしょうか。
もう一点、これも常識のように語られていますが、新選組の隊士は高給取りだったとされています。
局長の近藤 勇の月給が五十両、副長の土方歳三が四十両、副長助勤の沖田総司らが三十両、名もない平隊士でさえ十両だったというのですが、平隊士でも年俸が百二十両もあったとは、とても信じられません。隊士たちの身分は幕臣でも藩士でもなく、あくまでも浪士なのです。
当時の記録にも、彼らが高給取りだったことを裏付ける記述があるのでしょうか。
こうした各種の「常識」について、新選組をあまりご存知でない方々から、知っているつもりでも、そこまではご存知なかった方々にまで、通史や人物伝では触れられることの少ない、新選組の「常識」と信じられていたことの真実を、ご報告させていただきたいと存じます。