まえがき
広瀬 隆

 明石昇二郎さんとは、絶えず連絡を取り合ってきた仲だが、再会するのは久しぶりである。集英社で二人の対談書を出すことになったが、このように悲惨な福島第一原発事故を前にして再会することは、互いに無念でならない。私自身はすでに『福島原発メルトダウン』(朝日新書)を緊急出版し、また書店には、反原発の書がかなりの数、出ている。色々な立場の人が発言することに意味はあるが、本を買う読者にとってみれば、「明石と広瀬がつくる本」であるなら、やはり原子力を推進してきた連中を、実名を挙げて徹底的に糾弾する、特徴ある内容にしなければならない。何しろ明石氏はずっと、「責任者出て来い」という論法で、胸のすくような記事を書いてきた変り者だ。二人で、原子力の闇を暴きたい。
 
 なぜ福島第一原発で炉心溶融の大事故を起こして、子供たちが苦しむような世界を日本に生み出してしまったか。いま、食品に従事する人たちは、誰もが放射能の言葉におびえなければならない状況にある。農家や漁業者は、取り返しのつかないほど汚染された大地と海を、元通りにして返してくれと叫んでいる。町の魚屋さんも、レストランも、東京電力による放射能汚染水の大量放流で、大変な被害を受けている。観光地も、外国人旅行者が日本を避けようとするので、言葉には出せないほど大変な苦労を強いられている。みな、内心では、原因も責任者も知って腹立ちを覚えながら、それを口にすると自分にはねかえってくる被害が大きくなるので、口をにごさなければならない。
 これは、東日本大震災による地震・津波の被害者と、ひとくくりにしてすむことではない。今、進行中の出来事は、間違いなく原子力災害だ。放射能災害だ。
 みなの言葉を聞いていると、「原子力ムラ」があると言っている。原子力の世界には「御用学者」が山のようにいるのだという。しかし、このように恥ずべき大事故を起こして住民を避難させ、あの人たちの一生を取り返しのつかない苦境に追い込み、加えて事故を収束することさえできない今、そのように生易しい言葉ですませられるものだろうか。あいつらは原子力マフィアだ。壮大な原子力シンジケートだ。私に言わせれば、その責任者たちは、法律上「未必の故意」に該当する重大な犯罪者であって、被害者に代って、司法がその罪を裁かなければならないはずだ。未必の故意は、過失とは違う。起こり得る危険性を知っていながら、それを放置して、大事故が起こるべくして起こった、ということだ。その結果、膨大な数の子供たちの肉体を放射能がむしばみ、これからの人生を生きてゆくあの子たちの生命を危機にさらしている。
 加えてマスコミには、東電による被害者賠償は「電気料金の値上げで資金をつくって」おこなうなどという信じ難い、許し難い報道が流れている。罪を犯した加害者が、被害者から金を集めて、被害者に賠償金を支払うとは、一体どういうことだ。なぜ、そのような違法を日本人は認めるのか。日本は法治国家ではないのか。その責任者たちがまったく平気で生きていることが、私にとっては許し難いことである。報道番組に出ている者たちが、いまだに「原子力は必要です」としゃべり続けている。事故の原因や遠因をつくった危険な大嘘つきが、それを犯罪として追及されないようにと、今や「放射能は危なくない」と叫んで、ますます子供の健康を危ない方向に誘導している。こうした山のような事実が、目の前にある。この種の人間たちが、今もマスコミに徘徊している状況は、「言論の自由」ですまされることではない。
 このまま連中を放置しておけば、さらにおそろしいことが起こる。百パーセント、次の大事故を招いて、やがて国家存亡の崖っぷちに立たされる構造が、厳然としてこの国にある。その人脈を一掃しておかないと、日本は次の時代に進めない。「がんばれニッポン」とわめいて、そんな精神論で決着をつけようとする無責任な言辞が垂れ流されている。だから、本書では、抽象論は一切やめたい。私自身も被害者の一人だが、被害者になり代って、彼ら犯罪者を徹底的に、つるしあげたい。
 そこで、明石さんと共に、論理的に思考してみたい。
 第一に、福島第一原発事故が「犯罪」に該当するかどうかを論じたい。そのためには、どれほどの被害が出ているか、最初にそれを明確にしなければならない。ただしこの事故は、まだ終ったどころか、これから何十年も放射能汚染が続くことが分っている。怠慢なテレビ報道界からニュースが消えつつあるだけで、相変らず放射能の大量放出が続いているので、被害はますます深刻な方向に向かっている。そこで、少なくとも現状での被害を急いで明らかにしないと、これからの放射能放出を最小限にとどめられない。さらに日本人が、「原子炉の爆発」という最初に受けた衝撃を忘れ、日々、その記憶にマヒしてしまうことだけは、何としても食い止めなければならない。そのためにどうしても必要なのは、被害の深刻さと、永続性を、読者に強く認識してもらうことである。
 第二に、その責任者が誰であるかを、実名を挙げて明確にしたい。これが私たち二人にとって、最大の論点になる。
 第三に、直接の責任者ではなくとも、放射能被害を隠蔽しようとする者を強く批判したい。マスコミを含めて、というより、大半はマスコミがその作業に関わっているので、やはりこの闇の世界を明らかにしないと、これからの被害拡大をおさえられないからだ。
 第四は、これから起こり得る大事故の危険性を、ここであらかじめ摘発しておくことだ。そうでないと、次の第二、第三の未必の故意の犯罪が起こされる。彼ら犯罪者は、まだ生き延びられると思ってタカをくくっているような非常に悪質な性格を持っている。その人間たちのこれからの言動を、日本社会が、どうあっても未然に食い止めなければならない。
 
 つまり目的は、二度と、原子力関係者によるこうした被害を起こさせない、そのことにつきる。
 この視点から、明石さんと、まず初めに福島メルトダウン事故について、全体像を語り合ってから、論点を明確にしぼってゆきたい。