はじめに
道路で前を歩いている中年女性がハンカチを落としたとする。子どもならば迷わず「おばさん、ハンカチ落としたよ」と呼びかけるだろう。しかし、多くの大人は「おばさん」ではなく、「あの〜」とか「ちょっと」とか「すみません」などと呼びかけるのではないだろうか。親戚のおばさん以外の人に「おばさん」と呼びかけることに、ためらいを感じるからである。
「おばさん」は「おばさん」なのだから「おばさん」と呼べばいいではないか、という意見もあろう。しかし、四〇代女性では六五・三%、五〇代女性では五四・六%、六〇代女性でも四五・六%が、「おばさん」と呼ばれることに違和感を感じるというデータもある(『朝日新聞』アスパラクラブ会員アンケート)。
「おばさん」という言葉が、呼ばれる側に違和感、あるいは不快感を生じさせ、呼ぶ側を躊躇させる理由はいくつかあるが、一つは〈女は若いほうがいい〉という価値観の浸透である。もちろん、男性も若さが重視されることはあるが、女性の比ではない。
このことは、男性に年齢を聞くことは失礼ではないけれど、女性に年齢を聞くことは失礼だと考えている人が多数いることからも明らかであり、裏返せば、年齢を隠す女性も多いということになる。
実際、女性芸能人が年齢を非公表とすることは珍しくない。なかには何歳かサバを読み、年齢を詐称する人もいる。いつまでも若く美しく自身を保つことが仕事でもあり、実年齢より若い役を演じることもある芸能人にとって、年齢を公表することにメリットはないのかもしれない。
一般の女性たちも、一定の年齢を過ぎると年齢を隠す傾向があり、職場やサークル、PTAの集会など、さまざまな年齢の女性が集まる場では、自分から年齢を明かすことはあっても、相手に尋ねることはしない。どちらかというと、若い女性ほど年上の女性に年齢を尋ねることは無作法だと感じているようだ。つまり、若い女性ほど年をとることに対するマイナスイメージが強いのである。
こんなふうに書くと、「本当に年なんか気にしていないのだから、言う必要もないし、聞く必要もない」という言葉が返ってきそうだが、そういう人のなかには、自分の年齢を隠したいがために、意固地になっている人もいるのではないか。
そもそも、日本で暮らしていて年齢を隠し切るなどということは、無理である。結婚、喫煙、飲酒、選挙についての資格は、すべて年齢で規定されているし、事件や事故に遭遇した場合も、氏名と年齢が報道される。実生活でもあらゆる書類に年齢を記入しなければならず、それらをすべて人の目に触れないようにするなどということは不可能である。不可能に挑み続けるということは、多大なストレスを生むことになる。
本書ではまず、女性が年齢を隠したくなる理由、あるいは女性の年齢が意味するものについて、芸能人の年齢詐称、出産限界年齢や石原都知事の「ババァ発言」、中高年女性の就職問題などに触れながら探っていく。次に、「おじさん」よりもはるかに多くの意味を背負っている「おばさん」という言葉、さらに「おばさんは図々しい」という〈定説〉についても考えてみたい。
現在進行している少子高齢化は、ややもすると子どもや若者を尊び、高齢者を邪魔者扱いするような思考を生みやすい。また、出産が歓迎されるあまり、産まない女性に対する視線も厳しくなりがちである。本書がそうした風潮についても考えるきっかけになれば幸いである。