Nothing changes for the better.

 わたしの古い友人に、Dさんという人がいる。
 フランス人で、美術関係の仕事をしており、ある時、展覧会の仕事で、奥さんと一緒に日本へやって来た。久しぶりでわたしと昼御飯を食べることになり、食事のあと、お茶を飲みながら四方山話をしていた。
「タケノリ、最近、何をしているの?」
 そう問いかける奥さんに、わたしは日本の大学の話をしていたのだと思う。
「大学も、以前にくらべてすっかり変わりました」
 というと、奥さんは英語で、
「良い方に変わったの?」
 とたずねた。
 すると、わたしがこたえるよりも先に、夫のDさんが横合いから口をはさんでいうには、
「I think nothing changes for the better.(何事も良い方には変わらないと思うがね)」
 うまいことをいうものだ、とわたしは思わず膝を打った。
 このDさんはたいそう教養のある紳士だが、少しばかり風変わりな趣味を持っている。趣味は海洋考古学で、いつぞや、やはり東京で一緒にお昼を食べた時は、そのうちトルコ沖からトロイの遺跡を発掘するのだ、などといっていた。
 よろずに古いものの好きな人で、フランスでは中世の天井画がある古い家に住んでいる。フランス革命は一大蛮行だと批判し、小説などは二十世紀以降に書かれたものはいっさい読まない。
 要するに、現代的なものが嫌いなのである。
「なるほど、これがこの人の哲学なんだろうな」
 わたしはそう納得し、以来、時々胸のうちでこの言葉をつぶやいてみた。

「Nothing changes for the better.(何事も良い方には変わらない)」

 そのうちに、どうもこの言葉は、わたし自身の座右の銘にしても良さそうな気がしてきた。
 だって、至言ではないか。
 世の中、右を見ても左を見ても、悪い方へ、悪い方へ流されてゆくだけではないか。
 景気は悪い。給料は下がる(わたしの場合、原稿料と印税が下がる)。年金は破綻しそうだし、いずれ国家の財政はパンクするし、教育は崩壊する(荒廃ならば、とっくにしている)。失業者は路頭に迷う。隣の国ではいつ戦争がはじまるかわからぬ。
 疫病は流行り、地震洪水は起き、火山は噴火し、偏西風は蛇行し、世界は天変地異のオンパレードだ。
 こんなことではいけない、と人々は嘆くが、いくら嘆いたところで、誰も助けてはくれない。自分では何もできないし、ただジタバタして切歯扼腕し、もがいて、もがいて、ストレスだけが鬱積してゆく。
 悲しいかな、これがわたしたちの精神状況である。
 しかし――とわたしはふと思った。どうしてジタバタしなければならないのだろう。
「何事も良い方には変わらない」
 そう悟ってあきらめてしまえば、少なくともストレスだけは低下するではないか。人間はどうして悟ろうとしないのだろう?