はじめに――狭いながらも豊かな空間
狭いながらも楽しい我が家、こんな歌があった。狭くても楽しい家、これは住宅のひとつの理想である。でも、狭すぎて暮らせないのでは困る。では、どのくらいの狭さなら暮らせるか。
たとえば、二畳ではどうだろう。たぶんみんな、無理と言うだろう。しかし実質二畳に、しかも夫婦二人で住んだ人がいる。作家の内田百閒である。わずか三畳、うち一畳は上が物置なので実質二畳、ここに奥さんと住んだ。
彫刻家で詩人の高村光太郎は、戦災で焼け出され、花巻の奥の山小屋に一人で住む。畳はわずか三枚半、そこにふとんを敷く。長崎の医者永井隆は、二畳の部屋で病に臥しつつ子供二人と住み、世界平和を訴えた。
少し事情が異なるが、多摩川に今のように橋が架かっていなかったころ、渡し船が活躍し、渡船小屋があって船頭が住んだ。小屋は二畳。畳一枚に土間一畳分。川が氾濫したら「よいしょ」と移動させる。
明治の文豪夏目漱石は、若いころ、友人と二人で二畳の部屋に住んだ。この空間があの漱石を育てた。俳句と和歌の正岡子規は、病気の身を横たえるふとん一枚が我が世界だと書く。
四国の村はずれに建つ小さなお茶堂は、遍路たちの貴重な宿泊空間だった。住居とやや性格が異なるが、住空間の極限的存在である。
第二次世界大戦後まもなく、建築家たちは最小限住居の提案をした。安東勝男は七坪の住宅を提案し、池辺陽は立体最小限住居を造り、もう一人増沢洵も最小限住居を造った。狭さの追究は、住宅とは何かの追究でもあった。
狭い住居はいずれも、やむをえず住んだだけだ。しかしみな、実に見事に、そして有効に住んだ。
我々は、うさぎ小屋などと非難された劣悪な状況から抜け出そうと、広い空間を求めて努力してきた。しかし今、依然として住宅困窮者はなくならず、住居の貧困は解消されていない。便利さと快適さを求めて工夫もしてきたが、まだ不満も多い。
広さと便利さを求めると、エネルギー消費につながる。近年地球温暖化の危機が叫ばれ、省エネやエコが注目されていることと逆行しかねない。
当然のことだが、住居の貧困は解消すべきだ。だがそれと同時に、空間の豊かさとは何か、これも考えてみたい。狭さを知ってはじめて広さの意味がわかる。不便さを乗り越えてはじめて、便利さを知る。先に示した人たちの例はいずれも、不便さを乗り越え、有意義な空間にした例である。
生活が豊かになりすぎたとさえいわれる今、狭い住居の工夫を知って住空間の意味を再検討し、空間の豊かさを探ってみるのも、意味のないことではあるまい。
現存するものは現地を訪ね、現存しないものは本人の文章が語る空間描写に耳を傾け、狭さのなかの豊かさを味わうことにしたい。
それにしてもさて、あなたは二畳で住めますか。