「死ぬる」ということ

「死ぬる」という言葉をご存じですか?
 私がこの言葉をはじめて聞いたのは、愛媛県の友人・中矢暁美氏(託老所あんき代表)からでした。それまで勤めていた職場を辞めたと報告をしたとき、彼女から「金田さんもそろそろ、自分の『死ぬる』ところをつくらなあかんね」と言われたのです。意味はそれとなくわかりましたが、この「死ぬる」という言葉が強烈な印象として残りました。彼女はまさしく「自分の『死ぬる』ところづくり」として、託老所あんきという介護サービスを地域につくったのです。
 この「死ぬる」という言葉の印象を三好春樹氏(理学療法士・生活とリハビリ研究所主宰)に話すと、西の地域では普通に使われているようで、広島出身の氏にとっては、私が強烈な印象をもったことのほうが印象的だったと今でも言われてしまいます。
 そして、次のような説明をしてくださいました。
「『死ぬ』は『生まれる』に対応し、一瞬のことだが、『死ぬる』は『生きる』に対応し、時間の幅がある」と。
 つまり私たちは、「生きる〜死ぬる」のなかにいるということなのでしょう。より良く生きていくことが、より良く死ぬることへとつながっていれば何も問題はないのですが、このより良く死ぬることがなかなかむずかしいようなのです。
 誰でも介護を受けてまで長生きしたくない、できればポックリ最期を遂げたいと願うわけです。でも現実的にはそれもむずかしいとなると、さらに不安になり、なんとか介護を受けないですむように予防できないかと考え、介護予防と名のつくものを次々やってみたりします。それでも不安は拭い去れず、恐怖心を募らせていくという悪循環のなかにいる方も大勢います。
 ましてや、親の介護が目前に迫っている方にとっては、さらに深刻になっていることでしょう。
 
避けては通れない介護

 少し問題を整理して考えてみましょう。
 人生の最後に「死」があることは避けられませんが、医学の進歩の結果として、病気にしてもケガにしても、昔だったら救えなかった命が、今はだいぶ救えるようになったことは事実です。
 たとえば、脳血管障害です。もっともっと医学が進歩したら、詰まったり切れたりした脳血管が再生できて、その間に起きていたさまざまな障害も元に戻り、後遺症もなく暮らせるようになるかもしれません。でも今は、命は救えても後遺症が残り、介護を必要とする方がいらっしゃるという段階です。
 アルツハイマー病やピック病のように認知症と言われる脳の病気も、研究が進んでやがては治るようになるのかもしれませんが、今は解明の途中で、その病気の進行と共に介護が必要になっている方もいらっしゃいます。
 平和な世の中が続いていることも、高齢者が増えている要因です。二〇歳で太平洋戦争の終戦を迎えた人は、もう八〇歳を超えています。六〇年以上も戦争のない平和な世の中だから長生きができているわけで、これもありがたいこととして認めざるを得ないことです。介護を受けながらも暮らしていける世の中に、まず感謝というところでしょう。
 その結果、福祉や医療に多額の予算が必要となったのも事実ですが、このような恩恵を、まるで困ったことのようにいう世の中って、いったい何でしょう。産院が減り、赤ちゃんを産む人が困り、高齢者が増え、お金がいくらあっても足りないと嘆く世の中って何でしょう。
 以前に関わった介護施設の事業計画の最初に、「長生きすること・できることを、素直に喜べる地域づくりをしましょう」と書きました。一九九六(平成八)年のことです。それからの世の中の移り変わりが、どんどん悪いほうへ流れているように思えてなりません。その結果が、人々に老いることへの恐怖や、介護を受けて暮らすことを罪悪のように思わせることにつながっているのだと思います。
 本書は、いつまでも若々しく暮らすことや脳卒中にならない方法、呆けない秘訣をお伝えするものではありません。老いを上手に受け入れ、脳卒中で片マヒになっても、呆けても、最後まで自分らしく生きていくことを可能にしましょうと励ます本です。そして、そのためにはどんな準備をしたらよいのか、どんな制度があるのかを知り、将来の介護不安に備えていただくための本です。
 誰でも自分のこととして考えたくない「老い」と「介護」と「死」ですが、まずそれを他人事として避けて通ってきたことが間違いであったことを認めた上で、読み進んでいただければ幸いです。