はじめに――モノ言う人民の台頭
二〇一〇年一〇月八日、中国の人権活動家、劉暁波のノーベル平和賞受賞のニュースに世界中がどよめいた。長年にわたり共産党による政権運営を批判しつづけてきた人物だ。中国国内でこの受賞について厳しい情報規制が行われたこと、そのこと自体もひとつのパッケージとなって、西側ではニュースとなった。
すでに北京から日本に帰国していた筆者もパソコンを開き、かの国のウェブサイトに対して情報規制がどのように行われているかをのぞいてみた。やはり、二〇〇八年末に劉暁波の書いた「08憲章」が話題になったときと同じくらい、彼に関する情報は徹底的に見られない状態にされていた。例えば、「劉小波」と名前の一字をわざと変えて規制を逃れようとしているものまで削除されて見られなくなっており、当局の強い緊張感が感じられた。
一方で、後日、中国の主要紙を確認すると、劉暁波についてのネガティブな情報や、彼にノーベル平和賞を授与することの、米国をはじめとする西側諸国の裏の意図について専門家の論評が散見された。劉暁波は西洋文化を信奉して中国文化を否定しており、中国の刑務所で服役中ながら、雑誌の編集長として米国からなんと毎月一万三〇〇〇元ももらっている、といった類のものだ。
こうした中国政府の情報コントロールについて西側諸国の政府の多くは批判的な態度を示し、また西側メディアも中国の民主化の実現がまだまだ遠い道のりであることを憂う報道を繰り返している。
しかし、筆者の視点は若干、違う。中国の言論の自由や民主化については、劉暁波のような知識人階層の民主化運動とは別のところで、もっと語られるべきではないか、と思うのだ。
じつのところ、中国の若い世代の多くは「08憲章」も劉暁波も、そして一九八九年の天安門事件以降の民主化運動もほとんど知らないまま育ってきた。これは長年にわたって中国政府がこうしたことについての情報を抑えてきた結果でもある。このため、ノーベル平和賞を中国人の一人の受刑者が受賞したことについて、それがどういう意味をもつのか、彼らはすぐには飲み込めない。
中国政府の情報管理について、西側で批判的な視点から関心が頂点に達していた二〇一〇年の晩秋、中国のインターネットはまったく別の事件の話題で独占され、人々のはげしい声が渦巻いていた。「オレのオヤジは李剛だ!」事件と呼ばれるものだ。
発端はインターネット掲示板「天涯社区」に書き込まれた告発だった。河北大学構内で飲酒した青年が女子学生二人を撥ね飛ばし、うち一人が死亡した。現場で車を取り囲んだ学生やガードマンにその青年は言い放った。「オレのオヤジが誰だか知っているのか。オレのオヤジは李剛だ!」
加害者の父親は地元の警察のナンバー2だったのだ。しかし、泣く子も黙る警察幹部でも、たちまち情報が拡散するインターネットには太刀打ちできなかった。全国に知れわたることとなり、掲示板では権力者批判の書き込みが続いていった。
「こっちでは役人の息子、あっちでは富豪の息子。中国はすっかり権力者のパラダイスになっちゃっているよ」
「全校あげて抗議して警察署を包囲しよう!それでもダメなら市役所を包囲だ!街頭デモでもいい。とにかくお上の関心をひきつけなければ」
劉暁波のノーベル平和賞受賞について、日本を含めた海外の報道に接していると、中国の人たちは言いたいことも言えないかわいそうな国民だ、と感じてしまうが、いやいやどうして、ほかの話題では、彼らは世間の不平等や矛盾について、言いたいことをしっかり言っている。第一章でくわしく紹介するが、「話語権」、すなわち“モノ言う権利”をベースに中国独特の社会参加も始まっているのだ。
さて、筆者はかれこれ十数年、中国とかかわってきたが、二〇〇七年からの三年間は外務省の専門調査員として日本大使館に勤務し、リアルな人々の声があふれるインターネットについてその動向を研究してきた。期せずして、中国でのインターネット世論の影響力について注目されるようになってきた時期だった。在任中も、「オレのオヤジは李剛だ!」事件と似たインターネット世論が影響力を発揮するケースが多々発生したのだ。
中国で頻発するデモについても、インターネットの普及を切り離しては考えられない。二〇一〇年の尖閣諸島沖の漁船衝突事件のあとに発生した反日デモについてみれば、これまでのデモに比べ、インターネットや携帯電話のショートメールの普及が、人々の集団化を容易にした今、デモに参加する人々の層が「広く、薄く」広がってきている。その分、些細なことがきっかけで体制を揺るがしかねないほど「危うく」なっている。とくに若者のあいだで権力への畏怖がうすらいでいること、中央政府によるコントロールがかつてのようには利かなくなっていることを、党が意識せざるをえない時代となっている。
尖閣諸島の漁船衝突事件後の反日デモを「官製」であるという見方が日本国内でも報道されたが、こうした背景を考えると、わざわざ体制側が自らの危機を引き起こすようなデモにスイッチを入れるとは考えにくい。かつてと事情は変わってきているのだ。
こうしたさまざまな事件の背景について、伝統的な官と民の関係や、中国のマスメディアの歴史からたどっていくと、中国が今まさに直面している草の根の人々の言論をめぐる大きな社会の変化がみえてくる。
中国の世論の影響の波が日本にどれだけ大きな形で押し寄せてくるかは、尖閣諸島問題、反日デモなどをあげるまでもなく、明らかだろう。隣の超大国において、世論がどのように立ち上がってくるのか、それがいかにインターネットと関係しているのか。ノーベル平和賞騒動ではみえてこない中国の言論空間にご案内したい。