はじめに
自殺の大国
日本では、過去一〇年あまり、年間の自殺者は三万人を超えている。世界保健機関(WHO)の統計などによると、人口一〇万人あたりの自殺者数をみると、日本はここ数年二三〜二四人(男性は約三六人、女性は約一四人、二〇〇七年)で推移している。自殺者の統計は、世界中の国々で、毎年きちんととられているわけではないので、簡単に国際比較をすることは難しいが、日本は自殺率の上位を占めている(図)。日本と同じレベルか、それ以上に高いのは、ベラルーシ、リトアニア、ロシア、カザフスタン、ハンガリー、ウクライナ、スロベニア、エストニアなど、社会主義体制から移行した国である。
これらの国よりも低いが、もともと自由主義体制だった西欧諸国ではフランス、フィンランド、スイスなどが高い水準にある。アジアでは韓国も高い。東欧や旧ソ連からの独立国は、共産主義体制から自由主義体制への移行という未曾有の社会変革を経験したことで、激しいストレスに見舞われた人々が多いからではないかといわれている。統計の年次が古い国もあるので、移行した国々では、年を追うごとに減少していくかもしれない。
WHOによる一九五〇年から二〇〇〇年までの自殺率の統計では、男性は一〇万人あたりおよそ一五人から二五人に、女性は五人から七人に増えているし、過去四五年で自殺者の数は全世界で六〇%増加したと警告している。自殺の抑止は、新たなグローバルな課題となった。
日本の自殺者の多さは、人間関係や仕事など社会的なストレスから説明されることが多い。私は、東京に住んでいるとき、あまりに頻繁に「人身事故」で電車が止まるので、通勤にはできるだけ電車を使わないことにした。人身事故といっても、ほとんどが不慮の事故ではない。このような事態が日常的になってしまっていることは、あまりに痛ましい。
自殺率の国際比較をしてみると、自殺率の低い地域には一つの傾向がある。イスラム圏での自殺率がきわめて低い。トルコでは一〇万人に対して三〜四人、エジプトでは一人以下、その他の国もほとんどゼロである。統計が正確かどうかの問題は残るが、イスラム圏で自殺が増加して社会問題になったという話は聞かない。
イスラム教徒は自殺しない。自殺者がいないわけではないが、ムスリム(イスラム教徒)は、苦境にあっても、多くの場合自殺という選択をしない。それはなぜか? この問いをめぐって、日本人が知らなかったイスラムの癒しの知恵と思考様式を考えていくことにしたい。