プロローグ

 一九八九年春。「インカ帝国」末裔たちの国、南米ペルーは激しく燃え上がっていた。
 三百年もの間続いたスペインによる植民地政策と、徹底した収奪システム。それは独立後も権力階層に引き継がれ、その頃には、ごく限られた者だけが残滓をしゃぶる社会へと成り下がっていたのだ。失業率七十%、年間のインフレ率は一万四千%を記録。こうした社会状況が、歪な光を放つ抵抗運動を生みだしていた。それが全土で急速に勢力をのばしていた武装テロ組織「センデロ・ルミノソ(センデロ)」で、彼らが実践していた「純化した毛沢東主義」は、処刑を基軸にした恐怖支配だった。そして繰り返された意味不明の暴力は、意味が不明であるが故に、貧困層や若者から熱狂的な支持を勝ち取り、八九年当時になると、首都リマをも包囲するまでに勢力を強めていたのである。
 だが、社会の中で常軌を逸していたのはセンデロだけではなかった。南米叛逆史において、類を見ない「狂信的テロリズム」の急速な勢力拡大におののいた軍部も、歪な形で暴力をエスカレートさせ、非合法な処刑を全土で繰り返していたのである。
 一方の狂気が、もう一方の新たなる狂気を拡大再生産し、一方の暴力が、もう一方の暴力を無数に発生させる「負の無限連鎖拡大」社会。それが当時のペルーだった。
 こうした社会状況だから、私が借りていたリマ旧市街のアパート周辺からは、日暮れ以降、人影が途端にまばらになった。闇に紛れて歩いていたのは、犯罪者か売春婦、または奪われるモノなど何もないホームレス、薬物やアルコールに溺れきった連中だけであった。

 その夜も、センデロが送電線を爆破したため、いつもと同じように首都一帯では停電が続いていた。首都陥落は近いのかもしれない。そう人々が感じざるを得ない、キリキリと締めつけられるような息苦しさに包まれた夜の闇は、人間の発する不安と恐怖で、ギリギリまでその濃度を高めていた。聞こえていたのは、猛スピードで行き交う緊急車両のサイレン音と、自家発電機で動かす、カセットデッキから流れ出た壊れそうなサルサ音楽だけであった。
 アメリカの大学で学生生活を送っていた綾子が、ペルー取材を続けていた私のもとに来たのは、そんな時期の、そんな場所だ。
 スラム化したビルの一室を借りただけの切り詰めた生活だから、私には部屋にカーテンをつける余裕もなかった。あったのは寝心地の悪いベッドと、ガタガタするばかりの籐イスが窓際に一つ。数台のカメラと取材資料、何枚かの衣服が床に散らばり、停電した部屋の明かりは、買い置きしたローソクでまかなっていたのだ。
 そこに大学の後輩が突然来てしまったのである。
 在学時代、「現代史の現場に立つ」とお互いの夢を語り合った仲間で、彼女はアメリカで、あと一、二年、ジャーナリズムと写真を勉強した後、世界の報道現場に立つ夢を描いていた。そんな女性だから、私が手紙で伝え続けていたペルー情勢に、いつも興奮気味に返事を送ってくれたのだ。当時中南米は、世界中の報道関係者が集まる「紛争のホット・スポット」だった。しかし、ペルー到着後八回盗難に遭い、取材中、街中で死者やけが人を見続けていた私には、後輩が突然来たことは嬉しい反面、心配でもあった。
 目の前の籐イスに腰かけた彼女は、そんな私の思いを理解しないまま息を弾ませていた。
「念願のペルーだから……。わたし、父のクレジットカードを無断で使って、飛行機のチケットを買ってしまったんです」
 彼女は少し早口でそう言うと、一瞬だけ済まなそうな顔になった。
「小さい時からナスカやマチュピチュを自分の目で見るのが夢でした。なんで昔の人はあれほどのものを残したのか。アメリカの古本屋で見つけたナショジオ(「ナショナル ジオグラフィック」誌)のペルー特集を、何度も何度も繰り返し見続けたんですよ。でも、今のペルーって、インカ帝国だけじゃないんですよね。空港から乗ったタクシーの窓から見た光景は、『わたしって、まだまだ何も知らない』って感じるほどのすごさでしょ。日本人やアメリカ人が絶対に想像できないような、そんな貧困が世界には本当にあるんですね」
 空港からタクシーが通過したエリアは、「掘っ建て小屋」同然の家が立ち並ぶ、極貧のスラム地域だった。
「アメリカにカンボジア難民の友だちがいて、今、その家族のドキュメンタリーをつくっている最中なんです。内戦の時、彼らは先進国の住人が考えられないような経験をしている。ある日、カンボジア式の結婚式に招待されたんですよ。結婚式だから嬉しいわけだけど、そんな時もフッと彼らが見せるんです、寂しそうな顔を。吸い込まれてしまいそうな寂しさ。平和になっても拭いきれない悲しさ。その正体がいったい何なのか。もちろん、カンボジアの戦争と、その他の途上国は違います。でも、彼らの心の一端でもいいから知りたかった。その意味からも、アメリカから近いペルーを、実際に自分の目で見て、内戦と途上国の様子を確かめたいって、そう思ってたんです」
 カンボジアとペルーを結びつける少し苦しい「言い訳」だが、確かにペルーは彼女にとって初めての途上国で、センデロの存在を含め、ポル・ポト時代のカンボジアを連想させる場所であった。彼女は、私の部屋の窓際に置いてあった籐イスの上で、イスの揺れを両手で押さえながら話し続けた。彼女に呼応するように私は、ベッドに座ったまま、これまで見た激しく燃えさかるペルー情勢を、一足先に学校を卒業した先輩として話し続けた。当時の二人は、アルコールを一滴も飲まず、ペットボトルの水を口にするだけ。夕食もスナック程度のものしか取っていない。だが会話は途切れることなく、疲れも感じなかった。  外食から家に戻って、すでに四時間近くが経過していた。その間にペットボトルの水はなくなり、二人を照らすローソクは、受け皿近くまで小さくなっていた。そろそろ話すテーマを頭の中で探さなくてはいけない。琥珀色のローソクの炎が、ゆらめいて見えた。気がつけば、その夜初めての沈黙が部屋には流れていた。目の前の彼女は口を閉ざし、顔を伏せたままだ。お互いが待ち望んでいた瞬間。しかしこの時間を先に延ばすために、途中から話すテーマを探していたことも二人はわかっていた。
 垂れ流されていた安いサルサ音楽は、すでに鳴り止んでいた。騒がしい緊急車両も通っていない。目の前で彼女はうつむき、押し黙ったまま、はち切れそうなジーンズの、破れそうになった膝をただひたすら、ひとさし指で擦り続けていた。
 窓から注ぎ込んだ青白い月明かりが、閑散とした部屋の中をうっすらと照らし出していた。青く透明なその光を、窓際に置かれたイスの上で、一人の女性が全身に浴びていた。薄明かりの中に浮かび上がったその姿は、十七世紀にオランダで生を受けた天才肖像画家レンブラント・ハルメンス・ファン・レインの絵の中に描かれた女を思い起こさせた。
 ゆらめく瞳。瞳の奥に宿る不安と慈愛。弾けそうな身体が、光と闇の狭間で、ためらいと期待を息づかせている。薄桜色に染まった頬。ほのかな汗の匂い。
 美しすぎる月明かりに照らし出された夜。