はじめに

 あたしが生まれた昭和二十三年ころは、まだ戦災の爪あとが深く、東京中が仮住まいのバラックだらけだったそうです。それでも物心のつく三、四歳のころになると本建築の家が建ち始め、あたしの家にも大工さんが入り、その大工さんの弁当箱の大きかったことを今でも覚えています。
 あたしは浅草で三代続く扇子屋に生まれましたが、戦時中に踊りを踊っている人などいるわけもなく、扇子なんかそうそう売れるものではありません。当時は仕入れられるものならなんでもということで、万年筆からおもちゃの刀まで売っていたというのだから、祖父やおやじたちの苦労は相当のものだったと思います。
 それでもやっと本職に戻れたことが、家族を明るくさせてくれたんでしょうね。浅草にはいろいろな職人さんもいて、子供のころのあたしはそんなおじさんたちの話を聞いているのが大好きでしたから、自然と粋だの野暮だのということのわずかな違いを覚えてしまい、随分生意気なことも言っていたそうです。芸者衆は来るし、噺家さんは来る、歌舞伎の役者さんたちとも自然に知り合いになるし、幇間の師匠連中までも話しかけてくれるようになるんですから、普通の子供に育つわけはありません。
 下町の常として、年間の行事は非常に大切なものです。「そろそろあれの準備にかからなきゃいけないね」なんて大人に言うと、「おや、よく覚えていたね」と褒められるんで、季節感にはますます敏感になっていきます。四季の移ろいというか、歳時記なんていうものはそれ自体が文化ですから、覚えておかなきゃ大人との話にはついていけないんですね。
 この本は、あたしの生まれ育った下町と、江戸時代からの歳時記を加えて綴ったものです。もちろん下町とは、江戸城から江戸湾に向かった日本橋あたりから人形町方面をさした言葉で、江戸時代でいうところの浅草は下町エリアではありません。けれども庶民の町で江戸一番の盛り場ですから、下町文化という点では、この地のあれやこれを下町の歳時記とすることには間違いはないと思います。
 それから、歳時記を語る上で難しいのは旧暦と新暦。つまり、今と季節が違うときがある。年賀状に「初春」と書くように、昔の暦では一月、二月、三月が「春」で、四月、五月、六月が「夏」、七月、八月、九月が「秋」で、十月、十一月、十二月が「冬」となる。たとえば八月は秋の真ん中ですから、八月の月は中秋の名月となり、いわれてみればごもっとも、となるわけですが、突然「七月は秋」なんて言われたら、面食らったりするでしょう。
 明治五年の暮れに改暦が行われてからは、誤差がなくなっていますから、今様に考えられるのですが、改暦前は大の月が三十日、小の月が二十九日だから一年で十一日か十二日もずれてくる。「閏月」(季節と暦がずれるのを防ぐために加えられる月)で調節しても、極端なときでは一ヵ月違うっていうんですから、子供にはついていけませんよね。
 けれど今、あたしはそんな知識や知恵を教わることができた環境に育ったことに、感謝しています。なんていったって自然を楽しみ、言い伝えや人の優しさ、願いを歳時記に込めることを学べたんですから。  子供時代に教え込まれた最後の江戸の匂いを、どこまで伝えられるかわかりませんが、どうぞ読んでみてください。