米国内の携帯電話使用者が二億七千万人(総人口の約八十七パーセント。二〇〇八年末現在)に達し、電磁波の健康影響を懸念する人が増えるなか、米国議会は二度にわたり携帯電話の健康リスクに関する公聴会を開いた。そこでは携帯電話使用と脳腫瘍などの関連について専門家の間で激しい議論が展開され、国民の健康を守るために政府や議会が何をすべきかについても話が及んだ。この様子は全米テレビ局の夕方のニュースなどで報じられ、米国人の多くは携帯電話には潜在的なリスクがあるかもしれないと認識することになった。
携帯電話関連で初めての公聴会
二〇〇八年九月二十五日、米国議会下院の監督・政府改革委員会は「携帯電話使用と腫瘍―科学者の見解」と題する公聴会を開催した。ちなみに二〇一〇年二月にトヨタのリコール問題で公聴会を開いたのもこの委員会である。
米国では一九九三年に高圧線や放送電波などの健康リスクに関する議会公聴会が行われたが、携帯電話の電磁波に焦点をあてた公聴会はこれが初めてだった。その背景には、携帯電話の長期使用者の腫瘍リスクの高まりをめぐって研究者の間で激しい議論が展開されるようになったことや、世界中で専門家による会議が頻繁に開かれるようになったこと、米国内の著名ながんセンターが健康影響を理由に携帯電話使用を制限する勧告を出したことなどがある。
議長を務めた民主党のデニス・クシニッチ議員は公聴会の開催理由をこう説明した。
「本日は(携帯電話使用の腫瘍リスクに関する)“科学的議論のグレーゾーン”について、国民と議会の理解を少しでも深めたいと考えています。研究者の方々には証拠を提示し、これまでの研究調査について議論し、既存の調査データの意味と限界などを述べていただきたい。最大の問題は、政府機関や議会に国民の健康を守るための行動を起こさせるだけの十分な証拠があるのかどうかです。同じ科学的データにもとづき、他国の政府・保健機関は何をしたのか、そして米国の議会や政府は何をすべきなのかということです」
私は公聴会の翌日、クシニッチ議員の事務所に電話取材し、約三時間に及ぶ公聴会の激論の様子を収めたウェブサイトを教えてもらった。
クシニッチ議員は二〇〇八年大統領選に立候補したこともあり、日本でも名前はけっこう知られている。人権・労働・健康問題などに積極的に取り組む有力議員だが、携帯電話の健康問題にはとくに大きな関心をもっているようだった。
この公聴会が行われた時期は、ちょうどリーマンショック後の金融危機で議会下院は七千億ドルの金融安定化法案をめぐって激論の最中だった。そのため多くの議員やメディアの関心はそちらに集中していたが、それでもテレビ関係者など取材陣が多数駆けつけた。
公聴会の開始直前にクシニッチ議長が、「残念ながら、携帯電話業界団体のセルラー通信・インターネット協会(CTIA、Cellular Telecommunications and Internet Association)は公聴会の出席要請を断ってきました。それはつまり、議会と国民が携帯電話業界の証言を聞いたり、彼らに質問したりする機会を得られないということです」と発表すると、そのニュースはすぐにテレビやラジオで報じられた。
公聴会では最初に、「長期にわたる携帯電話使用が原因で脳腫瘍になった」とする被害者が証言し、その後、「携帯電話使用と脳腫瘍の関連はあり得る」とする研究者と、「関連はない」とする研究者が個々に見解を述べ、議論を行った。