はじめに
一九六一(昭和三六)年、中日ドラゴンズに入団した私は、一年目に三五勝をあげ、最多勝、新人王、最優秀投手賞、さらに沢村賞などほとんどのタイトルを独占した。そして二年目にも三〇勝。そんな私の連投に次ぐ連投を見て、マスコミから発せられた「権藤、権藤、雨、権藤」という言葉が流行語になるほど、私は投げて投げて投げまくった。
二年六五勝という数字は、現在のプロ野球界から見れば考えられない勝ち数である。当時のセ・リーグは一シーズン約一三〇試合。私は一年目に六九試合、二年目に六一試合に登板していた。
当時の私は「俺はこのくらいでは絶対に潰れない。仮に潰れたとしても投げて潰れるなら本望だ」と思っていた。
案の定と言うべきか、三年目は一〇勝、四年目は六勝止まり。その後はまったく勝てなくなり、野手への転向、投手への復帰など紆余曲折を経て、一九六九(昭和四四)年、在籍九年という短い現役生活にピリオドを打った。
現役引退後、数年の浪人生活の中での野球に関する仕事と言えば、ローカルラジオの野球解説くらいのもの。雨が降って試合が中止となれば当然ギャラは発生しない。まさにその日暮らしの生活。この時期が私の人生において一番辛い時期であった。
一九七三(昭和四八)年、中日ドラゴンズの二軍コーチとなったことで私の第二のプロ野球生活が始まった。その翌々年のオフ、私はアメリカの教育リーグに参加し、そこで後の礎となる本物のコーチングに出合った。
その後、私は近鉄バファローズ、福岡ダイエーホークス、横浜ベイスターズでコーチを歴任し、一九九八(平成一〇)年にベイスターズの監督に就任。(ハマの)大魔神と呼ばれた佐々木主浩投手を中心とする個性的な選手たちのおかげで運よく、監督就任一年目にして日本一の栄冠を掴むことができた。
私の現役時代は実に短いものだったが、コーチ、監督としては随分長い間プロ野球に携わることができた。本書では、そんなコーチ、監督期間に培った指導法、組織論、人材育成術などを記させていただいた。
野球しか知らない私は、アカデミックな話をすることはできない。けれども、これまでに経験してきた〝ハッとする瞬間〟、〝ハッとする出会い〟から学んだことは数多くある。
本書に記したのは、コーチ時代に何人もの監督に仕えてきた中で「もし俺が監督になったら、これだけは絶対にやらんぞ」と感じたものをまとめた〝べからず集〟であると言ってもいい。
コーチ時代には中間管理職として、部下から信頼されるコーチを目指した。また、幾人もの監督たちと一緒に仕事ができたので、「よきコーチ(参謀)、よき監督(トップ)とはなんぞや」ということも学べた。
ベイスターズで監督に就任したときも、それまで溜め込んできた〝べからず集〟がたっぷりあったので困るようなことは何もなかった。〝べからず集〟だけは絶対に守る。その決意があれば十分だった。
私の〝べからず集〟は、プロ野球の世界だけに止まる話ではない。多くの人間が集まってひとつのことを成し遂げていくという意味においては、一般社会もプロ野球界も一緒であろうし、組織を動かす上で一番大切になってくるのが〝人間関係〟であることは言うまでもないだろう。
そんなわけで、私の〝べからず集〟は、一般社会の人間関係に置き換えても十分に通じる内容だと思っている。
上司との関係に悩んでいる人、上司と部下の間で板挟みとなっている人、さらに組織のトップに立っている人、あらゆる人に私の〝べからず集〟をご一読いただきたい。その上で、〝ハッとする瞬間〟をみなさんに少しでも感じてもらうことができれば幸いである。