朝礼の挨拶――私たちが学びたいこと

 みなさん、おはようございます。きょうは、これから、食卓を囲むことの楽しさについて、また、あるとき、どこかに、何人かが集まって、ともに食事をする……ということが、どういう意味をもっているのかについて、お話をしたいと思います。
 食卓は学校である、という言葉を、私はイタリア人から教えられました。
「イタリア人は、本も読まないし、勉強はあんまり好きじゃないけど」
と、そのイタリア人はいいました。
「でも、人生に必要なことは、みんな食卓から学んできた」
 彼は、学校を出たあと日本に来て、会社に勤めたのですが、日本人が羨ましくてしかたがなかった、といいます。
「だって、会社が終わると、家に帰らないで、同僚と飲みにいったりするでしょ。奥さんに電話もしないで。そんなこと、イタリアでは考えられないよ。もし、ぼくがイタリアでそんなことしたら、一度で大喧嘩、二度やったら離婚だよ」
 これはイタリア人に限らず、少なくとも欧米の国ではたいがいそうだと思いますが、会社が終わったらまっすぐ家に帰って、家族といっしょに夕食をとるのが常識です。よほどの理由でもない限り、いや、どんな理由があったとしても、妻に無断で夕食をすっぽかすなど、言語道断の振舞いといっていいでしょう。
 大人は仕事があるし、子供は学校に行っているから昼食はしかたがないとしても、毎日の夕食はかならず家族が揃って食卓を囲み、そして日曜日には親戚や友人を招いて、昼間からたっぷり時間をかけて食事を楽しむのがイタリア人やフランス人の習慣です。
 フランス人は、自分たちのことを、
「世界でいちばん食卓についている時間が長い民族」
 といって自慢(?)しますが、彼らはいったん食卓についたら二時間や三時間は離れません。イタリア人も同じようなものでしょう。
 イギリス人がティータイムというと仕事をスパッとやめてお茶を飲みはじめるように、フランス人やイタリア人は、食事の時間がくると、仕事は途中でもかまわず放り出してしまいます。私はときどきテレビや雑誌の取材でフランスへ行くことがありますが、現地で参加するフランス人のスタッフは、朝から撮影をスタートしてようやく調子が出てきたところなのに、昼食の時間が近づくと急にそわそわしはじめ、まだ仕事をしている日本人スタッフを尻目にさっさと機材をかたづけはじめます。
 そういう撮影は、田舎でやることが多いので、レストランのほうものんびりしていて、注文を取りにくるのも、サービスをするのも、実にゆっくりとしたものです。日本人のスタッフは、しかたなく食卓につくものの、空を見上げて、いまの光がちょうどいいんだけどなあ、と嘆いたり、時計を見ながら、これでまた予定が遅れちゃうよ、と文句をいったり、イライラして貧乏ゆすりなんかしていますが、フランス人はいっこうに動じる気配がありません。
 私も、フランスに留学した最初の頃は、食事にばかりやたらに時間をかける彼らの習慣を、なんとも非効率的な、それこそ経済の発展を阻害する要因ではないか、とさえ思ったものです。なにしろ私がフランスへ行ったのはいまから四十二年前、日本が高度経済成長のまっただなかにあった頃でしたから。
 しかし、その後、何度もそういう経験を重ねているうちに、なるほど、ひょっとするとこれは悪くない習慣かもしれない、ひとつの社会的なシステムとして、かなり有益な効能があるのでは……と思うようになったのです。いまでは、
「フランス留学で学んだことはなんですか」
 と聞かれると、
「どんなに忙しくても、食事は決まった時間にかならず食べること。それから、いったん食卓についたら、ほかのことをすべて忘れて楽しく過ごすこと。学校ではなにも勉強しませんでしたが、このふたつだけは食卓で学びました」
 と答えます。
「子供の頃は、両親の知り合いを招いたときなんか、けっこう緊張したものさ」
 と、例のイタリア人は話してくれました。なにを勉強しているのか、スポーツはなにかやっているか、将来の希望は……など、聞かれればそれなりに答えなければいけません。それも、丁寧な、大人の言葉を使って。来客が帰ったら大暴れするような悪ガキでも、食卓についているあいだは良い子でいなければならない。それは、社交の勉強でもあり、コミュニケーション能力の鍛錬にもなる、学校では教えてくれない課外授業です。
「大人だって、それぞれ、なにかしら、会話の弾むような話題を提供しなければならないし、そういうときに、違った仕事や経験をしている人から聞く話は、本当に勉強になるものだよ」
 たしかに、イタリア人のいうとおりかもしれません。十分や十五分でかきこむランチなら上司の悪口でもいっていれば済むかもしれませんが、二時間となると、順番が回ってくれば気のきいた話題のひとつも提供しなければならない。映画や本の感想を語るにせよ、旅の話をするにせよ、自分の体験を、その場の誰もが興味をもてるように、ときにジョークも交えて面白く語るのは、そう簡単なことではありません。また、難しい政治や経済の話題でも、立場や意見が異なる相手を傷つけないようにうまく話をもっていく技術があれば、食卓の談論をさらに興味深く盛り上げることができるのです。