はじめに
高山龍智(編者、僧侶)
「さあ、皆さん、立ち上がってください!」
と、その老僧は吼えた。
彼の名は、佐々井秀嶺。
現代インドにおいて仏教復興運動を指揮。
故ラジヴ・ガンディー首相から贈られたインド名はアーリア・ナーガールジュナ。
いまやわが国の総人口より多い一億五千万人にのぼるともいわれるインド仏教徒から「バンテー・ジー(上人様)」と呼ばれて愛され、インド政府少数者委員会の仏教徒代表を務めたこともある、“元”日本人。
二〇〇九年の春、四十四年ぶりに一時帰国した佐々井師は、わが国屈指の座禅道場にて開かれた講演会の壇上、約三百人の若き雲水らを前に獅子吼した。すなわち佐々井師は「座る修行」に打ち込む青年僧に向かって、「立ち上がれ!」と檄を飛ばしたのである。
青年時代、みずからを“世紀の苦悩児”と呼ぶまでに悩み、自殺未遂を繰り返した末、僧侶になった佐々井師。そして修行のために単身渡ったインドで、貧困と抑圧に喘ぐ最下層民衆の実態を知り、その暮らしの中へ飛び込んだ。以来、一度も帰国することなく師は、ヒンドゥー教のカースト制度によって“人間”と見做されない人々に、仏教への改宗による差別からの解放の道を示してきた。その“闘う仏教”の道のりは決して順調なものではなく、時には生命の危機に晒されることもあった。だが、二〇〇二年、仏教の根本聖地ブッダガヤー大菩提寺がユネスコ世界遺産に登録されるにあたっての尽力など、師の活動は近年、インド国内のみならず世界的にも高い評価を受けている。
「今の今を見ることです。死後の世界など関係ない。今ここで、人間と人間がいかに仲良く、いかに尊重し合えるか。そして互いを認め合い、平和で平等な世界を築いていこうとするのが仏教。だから、瞑想に浸ってばかりで現実の他人の痛みに目を閉ざしてはいけないのです。大乗か小乗かなど関係ありません。ましてや、宗派にこだわっている場合ではない。さあ、皆さん、立ち上がってください!」
はたして、およそ半世紀ぶりに帰った佐々井師の目に、故国と仏教の姿はどう映ったのだろうか?年間自殺者三万人を超える現代日本社会に向けて、インド仏教徒一億五千万の代表者が送るメッセージに、どうか耳を傾けていただきたい。
合掌九拝