まえがき より
グラバーと聞いて、何を連想するだろうか。
おそらく誰もが、長崎有数の観光地、グラバー園を思い浮かべることだろう。幕末から明治にかけての西洋建築が集められたグラバー園、その象徴的存在がグラバー邸であることはいうまでもない。
修学旅行生をはじめとする多くの観光客が、グラバー邸(旧グラバー住宅)を通り過ぎてゆく。丘の上の、眺望のいい庭園は、記念撮影に格好の場所でもある。観光シーズンには、人の波が途切れることはない。館内には邸宅と持ち主の略歴を説明する展示があるが、人々が立ち止まるのは、むしろ等身大の坂本龍馬のパネルであったりする。グラバーと同世代であった維新の英雄は、確かに彼と交友関係があったが、しかし、この場所の主人公は、龍馬ではなく、グラバーなのに、と思う。
NHK大河ドラマの『龍馬伝』が始まるのに際し、年末の紅白歌合戦で中継場所に選ばれたのもグラバー邸だった。ここは、長崎の有名観光地であると同時に、幕末という時代を象徴する場所でもある。だが、そうして丘の上の邸宅に注目が集まるわりに、グラバーが何者であったかは語られない。グラバー邸は、持ち主の存在をこえて建物が有名になってしまった、数奇な運命の個人住宅なのである。
グラバーといえば、一般には、グラバー邸を建てた冒険商人、トーマスブレークグラバーのことをさす。しかし、グラバー邸を語るのなら、晩年、生活の拠点を東京に移してしまった父グラバーよりも、長崎に留まり、邸宅を後世に伝える役割をした息子、倉場富三郎のことを忘れてはならない。