自分の顔に自信がもてますか? より
 猫や犬の顔を下から見上げて観察すると、笑った顔のように見えることがある。笑わないはずの動物の愉快な顔を見ると、たとえどんなにいらいらしていても、思わず心が和むものだ。
『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫は、高い木から人を見下ろし、小馬鹿にしたように大きな口をぐっと横に広げてニヤリと笑う。そして笑顔だけを残して姿を消す。もちろん猫が笑うなどということはありえないわけで(進化論的な観点からいうと動物は笑えない)、この顔はきっと、無表情でつんとすましたように見える猫の姿を観察している中で生まれたものであろう。笑うはずのない動物と、最後に笑顔だけ残されること……それは顔から伝わるものがなんであるかを如実に語るシーンでもある。
 愉快な顔を見て心が和むのは動物に限ったことではない。顔のように見えるマンホールやポストを道端で発見するとおかしいし、顔があるような車やバイクが駐車、駐輪しているのを見かけると、思わず微笑んでしまう。真正面から見たヘッドライトが、笑った目や怒った目に見えるように設計したような車やバイクすらある。人は、必ずそこに顔を見てしまう。私たちはどうしても顔が気になるようだ。
 愉快な顔がある半面で、子どものころの家族写真に、苦虫を噛み潰したような不機嫌な顔をして写っている自分を発見する人もいるだろう。
 筆者もその一人だ。機嫌が悪かったわけではない。大人を相手に、舐められないように精一杯きばっていた。毅然としたいが、生来のゆるい顔はどうにもならない。自分の顔がかもしだす雰囲気を払拭するために、着るものも言動も男っぽいものを選び、甘く見られないようにとばかり気にかけていたころのことを思いだす。まさしく顔に振り回されていたようなものだ。
 顔は、私たちの人生までも決定づけるものなのだろうか。なぜ顔はそれほどまでに重要で、私たちは、なぜ自分の顔や他人の顔を気にするのであろう。