あとがき
本書出版の話が動き出した頃、「歴史的」な政権交代により民主党の鳩山由紀夫内閣が成立しました。しかし、沖縄県の米軍普天間基地の返還問題をめぐる対応によって、この政権の方向性が自民党が行っていた対米従属政策と大差のないことが、あらわとなってしまいました。
そして、原稿の最終チェックに取りかかっていた時期、鳩山首相は、「政治主導の掛け声も、日米安保体制の前には結局は無意味」という諦念のような無力感を人々に植えつけて、後見人の小沢一郎幹事長とともに政治の表舞台から去っていきました。
政治不信だけを撒き散らした鳩山政権への失望の言葉を並べたらキリがないでしょうが、しかし一方で、沖縄問題が〝日本の問題〟であることや、問題の核心が日米安保条約とその先にある軍事優先主義にあることをあらためて思い起こさせた「功」があったと、皮肉を込めて言うことができるかもしれません。
私たちはフォトジャーナリスト、ビデオジャーナリスト団体であるがゆえに、組織として直接的に日本国憲法九条の堅持、あるいは護憲を掲げてきたわけではありません。しかし、私たちが本書で紹介した「閉ざされた声」を発し続ける人々が、日本国憲法の平和主義、非軍事主義に共鳴してくれるであろうことは、疑いのないことです。林が報告したチェチェンの状況、野田がとらえたチベットの人々の横顔、古居が描いたパレスチナの女性たち。いずれも、軍事力では何事も解決されないという事実を物語っています。
「戦争の世紀」だった二〇世紀に続いたのが「ブッシュの戦争」に象徴される理不尽きわまりない暴力の時代だったとしても、その暴力装置としてのアメリカ国家ですら、「核兵器のない世界」というスローガンを掲げ、具体的に核兵器削減に踏み出そうとしているオバマ政権を誕生させたのです。
そのようななか、いまだに軍事力という名の暴力を前提とした安全保障論にとらわれている日本で、その暴力の行使が何を生起させているのかを報告するのは、読者の皆さんに、そのくびきから脱する何らかの手がかりをつかんでほしいと願うからです。
現実には、残念ながら、「日米安保条約絶対論」から日本が解放される日が近いとは言えません。私たちが暴力の生み出したものを取材し続ける状況は、まだまだ続くかもしれません。そして、取材を取り巻く環境はますます困難さを増していくでしょう。
その困難とは、本書の編集中に発生した、タイの首都バンコクにおけるロイター通信日本人カメラマン射殺事件のような、取材者が直接、暴力の標的になるようなケースだけではありません。私たちが主な発表媒体としてきた雑誌が次々と休刊という名の廃刊に追い込まれていることは序章に書きましたが、テレビにおいても「重いテーマ」を敬遠する傾向が顕著になっていて、そのことも私たちを発表の場から遠ざけています。そして、インターネットの普及と、それに連動した小型ビデオ、デジタルカメラ、カメラつき携帯電話などのツールの進歩は、「ジャーナリストが現場に足を運ばなければ、一枚の写真、一秒の映像もない」という時代の終焉を示唆しています。
だからこそ、私たちにはプロとしての眼、プロとしての表現が強く要求されているのだということを、各自が肝に銘じなければならないと思っています。そのための切磋琢磨が、JVJAには要求されているのです。