インターネットのできる携帯電話が、高校生向けメディアとして売り出されて一〇年経った二〇〇九年から二〇一〇年にかけ、にわかに「子どもに携帯電話を持たせるな」とか「学校に持ち込むな」という声が県議会議員や文部科学省、教育学者たちから湧き上がっている。自治体の中には「国や業界の対応が間違っている」と言い出すところが現れたり、「こうなったら子どもから携帯電話を取り上げろ」とか「所持禁止の法律を作れ」と言う有識者、国会議員も出てきた。
所持禁止等は、少なくとも携帯電話普及の初期なら、あるいはできたかもしれない。だが今となっては、取り上げることなどとてもできないだろう。子どもたちが「ケータイ」と呼ぶメディアは、身体用具となって日本の子どもたちの身に付いてしまった。とても引き剥がせるものではない。なによりも巨額な利益を上げてきた携帯電話関連業者が黙ってはいないだろう。子ども市場から離陸した携帯電話産業は短期間で巨大化した。「お子様方のコミュニケーション活動の妨げになるから」と言って、子どものケータイに危ないネット遊びをさせないようにする、安全なフィルタリング(閲覧制限)をかけることさえできないのが現状だ。
ところでなぜ今頃、子どもの携帯電話を、あちこちで問題視するようになってきたのか。思うに、子ども社会に広がる危険な実態がなんとなく見えてきたからではないのか。言葉を換えて言えば、大人の手に負えない道具が子ども社会に広がっているのでは?という漠とした危機感が広がってきたからではなかろうか。実際に、私は幾人もの携帯電話会社幹部から「大変なモノをばら撒いてしまった」と告白されるようにもなってきた。確かに携帯電話会社の経営者の中には「子どもの携帯電話利用に問題はない」と公言する者もいる。しかし文部科学省ばかりか携帯電話会社の幹部の中にも、焦り始めた人々が出てきたことは事実である。
私は、一九九九年にiモードと呼ばれる携帯電話サービスが出現した半年後から、警察や学校関係者からの質問を受けてきた。当時はまだ、携帯電話は単なる移動型電話機という受け止め方が一般的で、iモード型電話機がフィルタリング無しの携帯型インターネット機であるという認識は薄かった。しかし警察は、青少年に持たせてはいけない道具ではないのか、という疑いを持っていた。iモード型携帯電話機発売九ヶ月後に行われた総務庁(当時)の高校生を対象とした携帯電話調査では、非行傾向の生徒がまず電子メール等ができる携帯電話に飛び付いたことを告げていた。だが私の研究室に相談をしてきた県警の警察官たちは、そんな調査も知らなかった。つまりは、警察官の本能が働いていたのだ。しかしこのハイテクメディアに関する現場の警察官のそうした疑念や不安は、二〇〇〇年からのケータイ・ブームでかき消されてしまう。
あれから一〇年、日本の子どもたちは、世界一マジカルな遊び場を手に入れた。携帯電話の小さい液晶画面の向こうには恋占いや着せ替え・変身遊び、プリクラ、戦闘ゲームなど女の子、男の子の大好きな遊びが各種揃っている。これを使えばアイドル歌手、俳優、声優や売れっ子小説家、スポーツ選手など有名人と交際までできる。正確には交際しているような気持ちにさせてくれる。それにうまくすれば、そこで知り合った人たちと実際に出会うこともできる。憧れのアイドルと出会うことができなくとも、アイドルの追っかけ仲間に入り込み、そこで気の合った相手と出会うことなどは、いとも簡単にできる。もともとポケベルの代替機とも言うべきiモード型の携帯電話機は、出会いのためのメディアなのだ。移動型音声サービスの電話機にインターネット機能が搭載され、携帯電話機が「ケータイ」に変身したから、いつでもどこでも暇な時、寂しい時、退屈した時、憂さ晴らししたい時にネットに入り込めて、出会いにも繋がるバーチャルな遊び(サイト遊び)を楽しめるようになった。だから思春期の子どもはおもしろがり、使用時間は増えていく。すると業者は儲もうかる。そういう図式が成立した。